社会の常識に距離を置く〜 「漂流」(角幡唯介)

読書録

沖縄・伊良部島のマグロ漁師と海をめぐる物語。漂流で死線をさまよっても、また懲りずに海に出て再び行方不明になった木村実という漁師を軸にして、海を生業とする人間の心理を描き出した作品だ。

とても面白かった。彼が作品中で明らかにしようとしているのは、海にしか生きることのできない人間特有の世界観とは何か、という点だ。海では沈没してしまえば終わり。昔も未来もない。大事なのはいま魚が採れるかどうか。海で数ヶ月漁に出て、陸に戻れば1週間もしないうちにまた海へ出る。生涯、それを繰り返して過ごす。

驚いたのは、伊良部島の佐良浜の漁師たちは、海で行方不明になって生きているか死んでいるかわからない人が山のようにいるということ。主人公の木村実もフィリピン近海にまで漁に出ていまも生死がわからない。海難事故の場合だと捜査は3日間で打ち切られるのだという。どこで消息を絶ったのかもわからなければ、広大無辺な海では手がかりすら見つけられないからだ。

角幡氏は厳しい海という自然で生きるよりなかった「池間民族」とも呼ぶ漁師たちを、最後には尊敬の眼差しで見ている。ある元漁師の述懐の後に次にように述べる。

過去や未来に執着するあまり現代を犠牲にしがちな現代人の窮屈な生き方からは、決して出てこない本音だと感じた。そこには、あくまで関心と欲望に忠実に、目の前に流れる時間を生ききることに専念した人間に特有の、すがすがしい潔さがあった(p.618)

この作品に惹かれるのは、海に生きる人間の心理をどこまでも深く探ろうとしているところだ。消息を絶った木村実に関わったあらゆる人から話を聞くべく沖縄本島と佐良浜を何度も何度も行き交い、さらにはグアムやフィリピンにも訪れるその執拗さに感嘆する。ある特定の人物を、周辺情報をジグゾーパズルのように組み合わせてその姿を浮びあがらそうとしている。山崎豊子の「ムッシュ・クラタ」の描き方と似たようなものを感じた。

「陸の人間」「海の人間」という分け方に、初めは簡略すぎて抵抗感を感じたが、読み進めていくうちにやはり「海の人間」には独自の世界観があるんだろうなと感じた。沈没すればすべておしまい。過去も未来もない、今を生きるしかない。それは漁師特有の豪胆さを育み、今に全てを尽くすといった人生観が作り上げられるのかもしれない。ただリスクの高さゆえに、マグロ漁船の後継者はほとんどいなくなっているのだという。

 私は角幡氏の作品が好きで7、8冊読ませてもらっている。彼は当代の第一線の冒険家として知られている。「極夜行」など前例のない冒険に挑むこと自体にも感嘆するが、それと合わせて彼の哲学的で現代批判的なところにも刺激を受けている。この作品にもそれが現れている。

科学技術や消費生活が進展することで都市における生は便利に、安逸になり、快楽指数も上昇したが、そのことによって私たちが知ったことは、日常が便利で快適になることと、自分の生が濃密になることとは全く関係がないということだった。現代の都市生活者は死が見えなくなり、死を経験することができなくなることで、死を想像することもできなくなった。そしてその結果、生を喪失してもいる(p.212)

 私自身も地方の片田舎の小中学校で過ごしたこともあり、自然を体感することが大好きだ。15年くらい前のちょうど今頃、大学に入りたての時に、彼の所属していた探検部に足を踏み入れた。部室に行くとタバコの煙が充満した狭苦しい部屋に、年齢不詳のヒゲもじゃのイカつい男たちが並んでいた。

どんな活動をしているのか聞くと「インドネシア近海の無人島に生息する謎の生物を追え」とか「ヒマラヤの山奥に住む雪男を探せ」とかいうことだった。あまりに日常からぶっ飛んでいる活動だったため、気が引けて体育会のアウトドア活動に取り組む部活に入った。集団行動が苦手なことがネックになり、その部活も1年間の経験だったが、その経験があるからこそ、角幡氏がどのような世界をうろついているのかもイメージできる。

私自身も個人的に自然深くに入る登山を長く続けてきたこともあるのかもしれないが、日本的な既存のレールの外側にある世界に飛び出したいという思いを持ち続けている。角幡氏とも親交が深く、「サバイバル登山家」としても知られる服部文祥氏の著作の中にも印象深いものがある。

「日本人として過ごす生涯は、準備されたレールの上を、からくりのわからないシステムに囲まれて、なんとなく過ごしているだけのように思われた。周りに合わせてうまくやれば、平均寿命と言われる時間を生き、おおよそ幸福な人生を送る『日本国民80年パックツアー』。ツアーにオプションはあっても、根底に自分で決めたものは何一つない。人生のお客さんなのか、主体なのかは大きな違いだ」(「ツンドラ・サバイバル」より)


2人に共通するのは、政治家や官僚、マスコミが日々垂れ流し続ける「社会の常識」に距離を置き、自らの価値観に基づいてオリジナルな道を切り開いていこうとする精神だ。決して楽な道であるはずがない。ただきっと厳しい登山のように一歩一歩、踏みしめて行く生の手応えを感じる道なのではないか。

世の中は今は、コロナ騒動で乱れに乱れている。会社員の在宅勤務がもはや日常になっているのも、2ヶ月前には考えられなかったことだ。当たり前なことなどない。目的地のない船が波風に流されるしかないように、人の人生も心に定めたものがなければ世の変化に翻弄され続けるだけだろう。こんな時にこそ、一人一人が何を大事に生きるのか静かに考えを深めることが大事なのかもしれない。

角幡唯介「漂流」新潮文庫

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