致知出版社を長く率いてきた藤尾秀昭さんの考えを知りたいと思い、読んだ。やさしい言葉で、先哲たちとのやりとりを例にあげながら、タイトル通り「どう生きるか」について語られている。
先哲に共通するひとつの思い
同出版社は「人間学の探究」を掲げ、生き方に焦点を当てた独自色の強い月刊誌を40年以上、世に送り出してきた。致知の考えの基盤を成している人物の一人が、思想家の中村天風だ。この言葉でも、中村天風の言葉を借りながら、致知に登場する人物が共通してもっていた一つの思いがあったと語る。
その思いとは「人生は心ひとつの置きどころ」。
同じ事態に出あっても、それをその人がどう捉えるかで受け止め方は変わる。各分野で道を切り拓いていた人に共通するのは、心をプラスの方に転じることに習熟していた人たちだったという。
この本に紹介されている弘法大師空海の言葉もとても興味深い。
「教本は本(もと)より差(たが)うことなし。
牛と蛇との飲水(おんすい)の如し。
牛は飲めば蘇乳(そにゅう)となり、
蛇は飲めば毒刺(どくし)となる」(宗秘論)
(同じ水を飲んでも、牛はそれを栄養のある乳にし、蛇はそれを毒にしてしまう)
私たちが日々直面する数々の出来事も、私たちの心がけ次第で栄養にもなれば、毒にもなる。同じ状況を実り豊かにする人もいれば、不平不満の種にする人もいる。すべては心一つの置きどころなのだ。
開花に必要な「冷気と闇」
もうひとつ、朝顔の話もとても印象深い。
朝顔の花は、朝の光を受けて咲くのだと思われていた。しかし、ある植物学者が朝顔の蕾に24時間光を当てる実験をしたところ、花は咲かなかったのだという。
朝顔の花が咲くには、朝の光に当たる前に「冷気と闇」が必要なのだという。
私たち人にも当てはまるのではないだろうか。苦難や葛藤の時期があるからこそ、後に咲く花は力強く鮮やかなのではないだろうか。二度とない人生、一人ひとりが独自の花を咲かせて欲しい。私もまたそうでありたい。