桜の名所、新宿御苑を20日に訪ねた。前夜、関東に近づいていた南岸低気圧が東北沖に過ぎ去り、都心は朝から風も弱く、春の陽ざしに包まれた。
20日は春分の日で無料入場日。都心で数少ない広々とした自然が広がる新宿御苑には、親子連れや学生グループ、海外の方などたくさんの人でにぎわっていた。
ここには65種類の桜、約1000本があるそうだ。記録的な暖冬の影響で、東京の開花宣言は過去最も早い14日。すでに散った桜もちらほら見かけたが、柔らかな薄桃色は春の実感とともに、心染み入るような優しさを感じさせてくれる。
なぜ大都会に自然が残されているのか
私は不思議に思う。1400万人が住む大都会・東京の中でも、最も人口が集中する東京23区のど真ん中の新宿エリアに、どうして東京ドーム15個分にもなる広大な自然が残されているのかということを。
自然と言っても手つかずの自然というわけではなく、もとは江戸時代の信濃の国の武将の敷地で、明治時代には牧畜や植物園などとして使われ、戦後昭和24年に「国民公園」となって一般開放された人工的な「庭園」という位置付けだ。それでも都心で数少ない広々とした自然を感じられる場所として残されている。
(新宿御苑は都心で数少ない広々とした自然を感じられる場所だ)
都心のど真ん中なのだから、庭園などではなく、商業地や住宅地に変えて、商業ビルや高層マンションを林立させた方がずっとお金は回るだろう。事実、新宿御苑にある3つの門から一歩外に踏み出ただけで、百貨店、コンビニ、雑居ビル、車の渋滞といった、商業的にぎわい一直線のいつもの大都市の光景に逆戻りする。
私はどういう議論があって、この新宿御苑が商業開発から免れたのかは詳しく知らない。ただ都心にこうした自然が残されていることは、人にとって水や空気が欠かせないように、自然を体感できる場所がとても大切だということを示してはいないだろうか。
考えてみればニューヨークにもその中心部にセントラルパークという大きな公園がある。5年ほど前に訪ねたことがあるが、そこは広大な森のようになっていた。広さは341ヘクタールだそうで、これは新宿御苑の約6倍弱。大都会の人たちがランニングや散策を楽しむ様子が印象的だった。
私は自然本来の美しさが大好きだ。私だけでなく、美しい自然が嫌だと思う人はいないだろう。ここから私論になるけれど、この自然の美しさが現代の日本社会が直面する2つの問題を解決とまではいかなくても、和らげることができるのではないかと考えている。
東京一極集中の緩和
1つは、政治や経済、文化などの主要拠点が東京に集まり、人口の3割が東京圏(一都三県)に集中する東京一極集中の問題だ。2008年をピークに減少を始めた日本の中で、人口が増え続けているのは東京圏だけだ。関西や名古屋でも減少している。日本は山岳地帯が多いとはいえ、日本の国土面積のわずか3%ほど場所に、3割の人口が集まるというのは、やはりおかしいことなのではないかと思う。
東京一極集中の問題はたくさんあると思うが、その大きな一つは東京に人口を吸い取られた地方が衰退するということだ。私が3年間赴任した宇都宮も、中心部の商店街は半分シャッター通り化していた。私の出身地の北九州市では毎夏に「わっしょい百万夏祭り」という賑やかなお祭りが風物詩となっているが、2004年に人口は100万人を割り今では93万人台だ。年々、夏祭りのネーミングとのギャップが大きくなっている。
それではなぜ、東京一極集中にどうして自然の美が貢献できるかといえば、自然の近くで暮らしたい、という動機が地方に移住する理由となるからだ。都会に住んでいると、なかなか自然そのものに触れる機会が多くない。最近は大手町にも「オーテモリ」という森にちなんだ名前の商業施設ができ、多少樹木が植えられているが、小鳥のさえずりや木々が擦れ合う自然な音が聞こえるわけでもない。
例えば、国土交通省の2015年の調査では、地方に住む魅力について地方移住希望者に尋ねたところ、「自然環境が豊かである」という理由が84・3%で、最も高かった。こうした人たちは、自然に触れて暮らすことに価値を見出している人なのだろうと思う。他にも同様の結果は調べればいくらでも出てくる。
つまり、都市部で普段自然に触れない人が、「自然の中で暮らすっていいな」とか「自然って綺麗だな」と感じる機会を持てれば、自然豊かな地方に実際に住んでみようと思うきっかけになるのではないかと思うのだ。
(春風にそよぐニラバナ@新宿御苑)
もちろん自然の美しさだけで、地方に実際に移り住める訳はない。大きな問題は仕事だろう。東京に人が集まる理由の1つも大企業が集うからだ。
だけれどいまはインターネットが全国どこにいたって使える。私の今いる職場では、コロナ騒ぎで初めてウェブ会議の活用を全社的に試み始めている(遅れた業界なので)。私も初めてウェブで顔を見ながら部署を超えた4人で仕事の打ち合わせをしたが、そのスムーズさに驚いた。顔の表情だってわかるし、資料の共有も同じ画面を見ながらできる。直接集まって話をしているのと、なんら変わらないというのが率直な感想だ。
この経験を機に、東京という地理的な縛りを元に生きている自分が、なんだかひどくもったいないことをしているのではないかと強く感じるようになった。先進的な企業の方にとっては、私のような感想は周回遅れくらいに聞こえるのかもしれない。ただ今回のコロナ騒動を機に、私のような思いを初めてしている人も多分それなりにいると思う。ITを活用すれば地理的な制約はない→それなら自然豊かな場所に住もう、という流れが太くならないかと思う。
メンタルヘルスの改善
もう1つ、自然の美が役立てられると思う社会問題は精神を病む人の増加だ。国の2017年の調査では、精神疾患の総患者数(統合失調症、気分障害など)は約420万人で、この15年間で6割増えている。世の中で心療内科が増え受診者数自体が増えたことなども増加の理由にあるのだと思うが、いろいろな事情で精神を病む人が増えているのは間違いない。
自然の美を感じることが、少しでもメンタル面不調を和らげることにならないか。自分自身の経験も大きいのだが、私も社会人以降、月1回は山の中に入っている。高校まで山が身近にある環境で育ったこともあり、ガチガチの人工物に囲まれて、遠くを見てもビルばかりという都心生活は息苦しさを感じることが多い。メンタル的にも辛く感じる時が今でもある。その時に山に行き自然の中を歩くことで、精神的に安らぎをえている。山は自分を取り戻す大事な場所になっている。
(山に入ると自然のふとした光景に足が止まる時がある、3月14日、奥多摩)
自然と健康についての考察は、古くからなされていた。紀元前400年ごろの古代ギリシャの医師であり、医学の父と言われるヒポクラテスは「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」という言葉を残している。
また、次のような話もあるそうだ。窓から森が見える部屋に入院していた患者と、自然が全く窓から見えない患者とでは、手術後の回復の度合いが異なっていたそう。自然を目にできる病院室の患者の方が回復度合いを感じ、痛みを感じることも少なかったそうだ。(サイエンス誌、1984年)https://science.sciencemag.org/content/224/4647/420.abstract
昨年末に、森林浴を健康や人材育成に役立てる取り組みを進めている小野なぎささんという方の話を聞く機会があった。彼女によると企業のメンタルヘルス対策としての利用が増えていることに加えて、森の中でリラックスして過ごすことで、経営幹部が新たな事業構想のひらめきを得ることや、デザイナーが新たなアイデアを生み出したいといった要望が増えてきているのだという(興味のある方は「あたらしい森林浴」を読むといろいろ書いています)。
自然の中で自分を取り戻す
今回のコロナ騒ぎで世の中はかつてないほどの激動の時期の真っ最中だ。想定外のことに直面している人もたくさんいると思う。人生の進路を見直すことを考えている人も少なくないのではないか。その時に、大事なのは自分自身の価値観だろうと思う。自分が何を大事にして生きているのかということだ。
フランスの思想家・ルソーは次のような言葉を残している
「自然は我々をだまさない。自分自身を欺くものは、常に我々である」
自然の美に触れることで、自分自身を見つめ直し、本来の自分を取り戻す人が増えるといい。
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