私たちがふだん仕事をしていると「こんなことやっていて意味あるのだろうか」といった不安や「自分のことは誰も見てくれていない」といった悲しみを感じることがあります。
そんなとき「あなただったらきっとできる」とか「あなたのサービスを楽しみにしている」といった応援してくれる人の存在は心強いものです。逆に、孤立無援でしたら、どんな優れた人でも苦しみの壁は乗り越えられないでしょう。
記者目線では「記事で取り上げたくなる人」
「応援したくなる人」と聞かれて思い浮かべるのはどんな人でしょうか。
記録を越えようと日夜トレーニングに励むスポーツ選手でしょうか。アイドルグループの頂点をめざして自分を磨くアイドルの卵でしょうか。はたまた、コロナ禍の中で患者に向き合い続けるお医者さんでしょうか。それとも、街をきれいにすべく道端で毎朝ゴミを拾う主婦の方でしょうか。
私は新聞記者として12年で3000人ほどの人に取材する機会に恵まれました。記者目線で「応援したくなる人」とは、「記事で取り上げたくなる人」です。
では「記事で取り上げたくなる人」とはどんな人でしょうか。それは一言でいえば「使命が伝わってくるかどうか」です。その人にしかできないことを本気でやろうとしている人は「記事にして伝えたい。こんな人がいるのだということを知って欲しい」と心の奥底からの思いが湧いてきます。
使命に優劣はない
使命といっても明治維新の志士のように「国を変える」という壮大なビジョンのことだけを言っているわけでは決してありません。「社員が誇りをもって語れる会社を作りたい」と願う経営者の奮闘、「心の悩みを少しでも解決したい」と心の相談にのるカウンセラーの決意、「美しい海を次世代のために記録したい」と海に潜り続ける海中写真家の情熱、それぞれ一人一人の中に湧いた使命です。使命に大小はなく、優劣を比べることもできません。ひとつひとつの使命が当人にとってかけがえのないものだからです。
なぜ使命を感じる人は応援したくなるのでしょうか。その人にしか生きられない人生を生きていることが伝わってくるからです。美しくとも生気のない造花ではなく、踏まれてもめげずに咲き誇る野花のような生命力を感じます。アスファルトの割れ目に命いっぱいに咲くタンポポに、思わず目を向けてしまうのと同じです。
ある床屋の使命
私自身の経験から、ほんの一例をあげたいと思います。私は北九州の地方の街で小中学校を過ごしました。家の近くに小さな床屋さんがありました。当時50代後半くらいのオーナーの方と、助手の方の2人で経営されているお店でした。当時、野球部だった私は丸坊主にしていました。料金は破格の500円です。私は優しくて働き者のお二人ともに大好きで、その床屋に1ヶ月に1回行くのが楽しみでした。
ある時ふと中学生ながら「よく500円でお店をやってられるな」と感じ、そのことを聞いてみたことがあります。するとオーナーの方が「来たい時にこれて、頭だけでなく気持ちもさっぱりして欲しいからね」と答えてくれました。私はその答えに感動しました。「床屋といっても単に髪を切っているだけではないんだな」と思えたからです。オーナーから伝わってきたのは「人の心も晴れやかにしたい」という思いです。私は自然と、野球部の仲間にそのお店を紹介するようになりました。
オーナーは「激安価格のチェーン店を築いて理容業界を改革したい」といった大きな使命を持っていたわけではありません。「お客の気持ち晴れやかにし、地域を元気な場にしたい」という願いひとつでした。その使命は私を含めたお客さんにも自然と伝わり、愛される床屋でした。
残念ながらそのオーナーは、私が大学1年生のときに帰省がてらお店に立ち寄ったところ、数日前に亡くなったと助手の方から聞かされました。訃報に涙しました。使命をもって働くとはどういうことか教えてくれたオーナーに、私は心から感謝しています。
使命とは「独自の花を咲かせること」
使命を持った人からは、物事に動じない胆力を感じます。「悟り」と言えるでしょう。肝が据わっているからこそ、人はその人を信頼し、応援したくなるものです。
私の好きな詩人・坂村真民さん(1906-2006)に「悟り」という詩があります。
悟りとは
自分の花を
咲かせることだ
どんな小さい
花でいい
誰のものでもない
独自の花を
咲かせることだ
使命とは一人ひとりが「独自の花を咲かせること」なのでしょう。あえて「誰のものでもない」と強調しているところに、真民さんの思いが込められているように感じます。
使命の「種」はひとりひとりの胸に
では、独自の花を咲かせる「種」はどこにあるのでしょうか。それはまぎれもなく、私たち一人ひとりの胸の中にあるのです。使命はどこかでお金を出せば買えるものではありません。教えてもらえるものでもありません。自分で見出せるかどうか、その一点にかかっているのです。
種を見つけた後、大きく育てるには水と光をやり続けなければなりません。それは日々の心がけ次第です。使命を育てていくうちに、その方の周りには自然と応援する人がひとりふたりと現れてくるのではないでしょうか。
「応援される人とは、使命を見出した人」だと思います。私はどんな人にもその人にしかない使命があると信じます。一人ひとりが使命を見出し、お互いに応援し合う社会、それが私の実現したい世界です。