インターネット社会は「個」の時代だと言われます。テレビや新聞といったオールドメディアから一方的に情報が流されていた時代はとうに終わり、SNSやYoutubeなどで個人が自由に意見を発信できる時代です。働き方や生き方も10年前に比べれば、個人がずっと選びやすくなっているように思います。
しかし、その「個」がわからないという人も多くいるようです。20代の若い方だけでなく、中高年でも自分がわからないという人の声を、私は参加しているインターネットのコミュニティなどでたくさん聞いてきました。
「個」と言われてみなさん、どんな人を思い浮かべるでしょうか。例えばサッカー選手の本田圭佑さんや、実業家のホリエモンなど、いかにも「個性」の強い人を思い浮かべる人がたくさんいると思います。
しかし目立つ個性ばかりが「個」なのでしょうか。そんなはずはありません。人は一人一人に「個」はきっとあるでしょう。私たちはクローン人間ではなく、顔も性格も誰として同じ人はいないのですから。
「個」で輝くKonMari
それではその「個」はどうすれば見つかるのでしょうか。ある方の話が印象深かったのでシェアします。
片付けコンサルタントの「コンマリ」こと、近藤麻理恵さんはいま世界で最も活躍している日本人のひとりです。2010年に出版した「人生がときめく片づけの魔法」は世界40カ国以上で翻訳出版され、1200万部を超えているそうです。Netflixの冠番組「KonMari~人生がときめく片づけの魔法~」は大人気番組で、2019年には米テレビ界の最優秀番組などに贈られる第71回エミー賞の候補入りをしました。
コンマリさんはある意味、最も「個」を輝かせて生きている人といってもいいかもしれません。その「個」はどうやって生まれたのでしょうか。
米国でKonMariをプロデュースし、夫でもある川原卓巳さんのお話をある会合で聞く機会がありました。親しみやすいお人柄で、出会いから米国を拠点とするまでの道のりをとてもおもしろく聞きました。「片付けを通して自分の内面を見つめる」ことがKonMariメソッドの中心にあるのだと思いました。「日本を片付ける」からいまは「世界を片付ける(Organiziing the world)」という理念で活動されている、そのスケールの大きさにしびれました。
川原さんはコンマリさんをパートナーとして公私で支え合う中で、人の魅力を引き出す最も大事なことを考え続けたそうです。それはただ「ありのままの自分でいること」だということです。川原さんは著作「Be Yourself」で次のように語ります。
あらためて振り返ってみると、僕がしてきたことはただ一つ。
麻里恵さんが、ありのままの自分でいられるようにサポートすること。ただ自分らしくいられるだけで、人は信じられない力を発揮します。
「個」は外側からくっつけるものではない
ほんとうの「個」というのは、役職や学歴、資格などといった外側から何かをくっつけて出来上がるものではなく、自分自身の内側にすでにあるものを見つけて磨いていくこと。このことに尽きるのだろうと思います。
私自身「個」に興味があるのは、長くこのことに悩んできたからです。大学以来、自分自身がわからなくなったり、不満に思うことが多々ありました。生き方自体もそうですが、容姿についても同じです。例えば、私は癖毛が強く、ずっと真っ直ぐなさらさらストレートヘアーの人に憧れていました。ストレートパーマをかけていたこともあります。
また自分の声もあまり好きではありませんでした。取材でレコーダーを取り、メモおこしをすることがあるのですが、インタビューで自分の声を聞き直すことが、本当に嫌でした。よく言葉に詰まり、ちょっと鼻声でくぐもっているように聞こえる話ぶりが、なんだかがっかりしていました。
しかし、30代半ばになり、最近ではこの髪質も声も、20代の頃に比べるとずっと気にならなくなっているように思います。癖毛は確かにセットしづらいですが、伸ばすと自然な動きが出てボリュームもあるように見えることに気づきました。昨年初めて、ストレートパーマでなく、より癖の出るパーマをかけることもしました。自分の癖毛を隠すことなく思い切り生かそう、と思ったからです。こんな風に考えるのは学生の時には信じられなかったことです。
また、声も最近では気にならなくなりました。昨年秋ごろに初めてそう思えたのですが、きっかけはコーチングをレコーダーでとったものを聞き直した時です。相手に興味を持ち自然な受け答えをしている自分の声は、嫌な気持ちを感じることなく聞けました。記者としての取材では、特別興味がなくても無理にでも質問をすることで話を聞き出そうとします。これは私だけでなく、ベテラン記者でも会社として命じられるインタビューでは似たよりかったりなところがところがあると思います。そうした自分のやりとりは不自然でぎこちないものを感じます。自分は嫌だと思っていたのは、実は声そのものではなく、実は不自然なやりとり自体だったのではないかと思いました。
まず自分を受け入れること
私自身、独立を決めて7ヶ月ほどなのですが、この間でもいろいろな心境の変化がありました。その一つは、自己嫌悪に陥ることがかなり少なくなったことです。なぜかというと、人と比較をすることが減ったことが要因にあると思います。大学卒業→会社員という横並び人生からのドロップアウトを、自ら決断できたことで自分は自分でしかいられないんだな、というさっぱりとした開き直りの気分を感じるようになりました。もちろんハッピーなだけではありませんが、もうやるしかないという思いです。山に登ろうとしても、なかなか登山口が見つからずしばらくウロウロしていた登山者が、ようやく登山口だろうと思えるものを見つけたから、とりあえずここから登っていくかというような、そんなこざっぱりした心境です。
独立を決めたことは、私にとっては自分を受け入れることだったのだと思います。苦手なことは苦手だし、できないことはできない。無理やり意欲をわかせ続ける働き方はできない。自分がやってみたいことを思い切ってやってみよう。これまでの人生の延長を生きることを「諦める」ことで、自然な自分自身を「明らめる」(仏教用語の「諦め」の語源は「明らかにする」の「明らめ」だそうです)ことができたのかなと思います。このことはすなわち、自分自身を受け入れることのだと感じています。
「個」はまず自分を受け入れることから始まるのでしょう。学歴や職歴など自分の外側から貼り付けたものでしか説明できない「個」は偽物です。内面にある「個」を見つけ、それを伸ばして磨き上げることが、きっと「個」の時代でゆたかに生きる秘けつなのでしょう。
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