2月7日(日)〜13日(土)までの一週間、栃木県さくら市にある「瞑想の森 内観研修所」という森の中の道場で「集中内観」という瞑想をしてきました。スマートフォンを断ち、本も断ち、会話すら断ち、たたみ半畳のスペースに1日15時間座り続けました。情報に追われ続ける日常から切り離された「精神と時の部屋」を旅したような異次元の体験でした。
忙しい毎日に追われる中、ご自身の内側を見つめ直したいという方は少なくないのではないでしょうか。人生や人との関わりを見直したいという方に、内観はおすすめできます。ただ実際になにをするのかご存知ない方がほとんどだと思います。私自身も体験する前はそうでした。以下、内観について私の体験談とともにお伝えいたします。
目次
12年の会社員生活を終える節目にしたかった
私が内観に興味をもった理由、それは会社員生活12年を終えようとするいま、心に節目を作りたかったためです。3月末に会社を離れて4月に独立します。会社を辞めることは、これまでの人生でも一番と言えるほどの大きな決断でした。35歳の再出発に向けて、自分の内側にひたすら向き合う時間を作りたいという思いがありました。
集中内観という1週間のスマホから完全に離れる瞑想があるということを、昨年末コーチングの仲間の産業カウンセラーの方に教えていただきました。記者の仕事はスマホに四六時中追われます。「スマホ断食」ができること自体、私にとっては大きな魅力でした。調べてみると栃木県で「瞑想の森」という施設があることを知りました。仕事の縁で以前3年間栃木にいたことがあり、行ってみようと思い立ったのです。
ただ、内観で具体的に何をするのかは行くまではほとんどわからない状態でした。私がイメージしていたのは座禅です。座布団の上で足を組み、手を重ねて、目をつむり続けることをやるのだろうといったくらいの前知識でした。私は日常で10分くらい座禅を組むことを習慣としているので、それを一週間し続けるのかなと思っていました。
森の中の6畳一間の道場
2月7日午前、東京を発ち栃木へと向かいました。「瞑想の森 内観研修所」は最寄り駅が宇都宮線の氏家駅で、そこから車で15分ほどの場所にあります。所長の車で瞑想の森に着きました。研修所は森の中の道場といったおもむきです。長屋のような作りをしていて、6畳一間の部屋がいくつか連なっています。出入り口には「内観研修所」と行書体で書かれた木製の看板が掲げられ、風格が漂います。
所長が内観の説明を始めました。聞いているうち、私は内観について当初の想像とずいぶん違うことに気づきました。一番驚いたのは、屏風をたてて畳半畳に閉じこもりっぱなしということです。一畳ではなく、その半分です。3食の食事も屏風の中でひとりでとります。同じ期間中に私含め3人の研修者がいましたが、会話は一切禁止。畳の部屋で座禅を組むイメージしかしていませんでしたが、そのストイックぶりに目が点になりました。
内観の説明もユニークでした。内観はふだん光が当たらないところに目を向ける営みだそうです。三日月に例えて言えば、光の当たるあかるい部分ではなく、光の外れた部分を見つめることだといいます。月はほんらい球体なので、光が当たっていないところも「月」であることは変わりません。
しかし人はどうしても光の当たる一部分に限って目を向けます。それは私たちの心も同じで、日々の生活では一部のことにしか光を当てていません。しかし私たちの心はふだん目を向けない影の部分もあります。見ようとしていないものに目を向けることが内観なのだと理解しました。
過去の人との関わりを「調べる」
座りながら何をするのでしょう。それは母や父、兄弟姉妹、夫や妻といった関係の深い人との関わりについて考えるのだそうです。重点を置く3ポイントは、①していただいたこと ②してお返ししたこと ③ご迷惑をおかけしたことです。考える人を絞り、期間を3年ほどに区切って、それぞれの時期にその人との関わりを思い出します。特に3番目の迷惑をかけたことを重視します。迷惑かけたことを6割、残りを2割ずつという目安も示されました。
内観で特徴的なのは、1時間半〜2時間おきに考えたことを伝える場があることです。話を聞きにくる方がひざまづき屏風を開けます。研修者はその「面接」の場でその時間内に考えたことを話します。これを朝から晩まで一日7回繰り返すのです。私が受けた期間での1日のスケジュールは次の通りです。
過去を思い出して考えることを、内観では「調べる」という言葉を使います。内観は、奈良出身の僧侶、吉本伊信が1960年代に原型を創設しました。浄土真宗の「身調べ」という手法を一つの参考にしたことから「調べる」という言葉が使われているそうです。面接では「今の時間はいつのことを調べていただきましたか」という質問がなされます。ちなみに内観自体は、宗教色を徹底的に排して、誰でも受けられるようにしているところも特徴です。
たたみ半畳の「安心感」
到着したその日の夕方から内観がさっそく始まりました。スマホはすでに預かられていて、情報端末はありません。いざ屏風に仕切られたたたみ半畳のスペースに身を起きますと、私は正直すこし安心感のようなものを覚えました。誰からも見られず、情報も入ってこない自分だけのスペース。しかも食事は3食はこばれてきます。スマホに追われ、デスクに怒鳴り散らされてきた12年間が嘘のような静けさです。
初めに思い出す人は、母親です。まず0歳から3歳までのことを思い浮かべました。私は大分で生まれ、3歳までに横浜と埼玉で育ちました。正直、3歳までのことはほとんど覚えていません。ただ1時間くらい目をつむっていると、五体満足の健康な体で産んでくれたこと自体、感謝すべきことだなという思いが湧いてきました。
2日目にかけて、幼稚園時代のこと、小学校低学年のこと、高学年のこと、中学生時代のことと3年おきに母との関わりを思い出していきました。ただふだん思い出さない記憶を蘇らせるのは簡単ではないと感じました。それでも古い記憶が入っている錆びついた引き出しを開けると、いくつかの場面が思い浮かんできました。
幼稚園の時には、母親が毎日ママチャリの後ろに乗せてくれて送り迎えしてくれたこと、小学校低学年の時には、鮭や昆布などが入ったおにぎりや星型のゆで卵、タコさんウインナーなどを詰め込んだお弁当を野球の練習に行く私に毎週末作ってくれたことなどを思い出しました。中学生の時には鬼ごっこをしていて転んで額を5針縫う怪我をした時に母親が仕事を切り上げて学校まで迎えにきてくれたこともありました。考えているうちに、母は愛情を持って私を育ててくれたんだなと暖かい気持ちが湧いてきました。
ただ私は2日目の夕方までは、内観に取り組む意気込みはそれほど高くありませんでした。やはりスマホに追われる生活から解放された喜びが大きかったためです。手元に置いておくことを許されたメモ用のノートに、内観とは関係のないことを書きつけていました。残りの30代のうちにやりたいことをリストアップしてみたり、パートナー探しについて考えてみたりしていました。
ある女性の「毒親」から「慈母」の衝撃
その不真面目な気持ちが変わったのは2日目の夜のことです。内観の森では3食のご飯の時間ごとに、過去の参加者の体験談や、内観に関わる講演の録音テープを流しています。2日目の夕食時の90分ほどの放送が、耳を疑うような内容だったのです。
20年ほど前に記録された放送でした。内観をした当時20代のフライトアテンダントの女性の話でした。母との関わりについて語った内容です。内観前の女性の話は、母親に対する恨みつらみの告白でした。母は娘が小さい時から家にいては麻雀ばかりしていました。小学校の時に学校から帰ると、見知らぬ人と雀卓を囲んで、タバコを吸いながら夜遅くまで騒いでいたといいます。家も散らかっていて、食べた皿などは流しにおきっぱなし。それなのに学校の面談では「娘をきちんと育てています」と嘯いていたそうです。その女性はそんな母親がたまらなく嫌だったといいます。私はこの母親は実に根性の悪い今でいう「毒親」なんだなと、この女性に同情しながら聞いていました。
ところが、彼女が1週間の内観を終えて話した母親像はまるで違っていました。幼い頃に病弱だった自分をよく病院に連れて行って心配をしていたこと、中学生の頃はお弁当を作ってくれたことも多かったと話します。大学時代の就職活動で希望が叶いフライトアテンダントになれ、初めての勤務で午前3時に家を出ることになったとき、母も一緒に起きてくれて「朝ごはん食べないと力が出ないわよ」といってご飯の用意をしてくれて玄関まで見送ってくれ、空港へ向かうタクシーが見えなくなるまで手を振り続けてくれたことなどを涙ながら語っていました。
私はその放送を聞いて衝撃を受けました。同じ母親なのに、まるで別の人を話しているように聞こえたからです。「根性の悪い毒親」から「愛情深い慈母」にどうして一週間のうちに認識が変わるのでしょう。ヤラセではないかとさえ疑いましたが、どうもこの女性の話を聞いているとそうではないようです。
半信半疑ではありましたが、これが内観というものなのかと思いました。もしかしたら、私も内観をすることで、何かが変わるかもしれない。その日の晩、あすからは気持ちを改めて内観しようと午後9時の就寝の鐘に合わせて眠りにつきました。
兄へのどす黒い鬱屈
今回、私にとって避けては通れないテーマが一つありました。兄との関わりです。私は3才上の兄を、6年前から遠ざけるようにしてきました。一度もまともに口をきいていません。6年前のちょうど今ごろ私は、兄を都内の居酒屋に彼を呼び出し、いま思い返しても汚いほどに2時間一方的に罵声を浴びせました。私の中に長年積もり積もった兄に対する鬱屈した思いを晴らそうという思いでした。私の人生が、兄に暗にコントロールされて続けて来たという悔しい思いを胸の奥底に抱えてきたからです。その「居酒屋の乱」以降も私の胸の内にあるどす黒い思いは拭いきれないまま過ごしてきました。
兄への内観は、3日夜〜5日朝にかけて日をまたぐ長丁場になりました。幼いころを思い出すと、口達者な兄は家族5人で食卓を囲むときに、いつも何かしゃべっていたなという記憶が蘇ってきました。私はその話にあいづちを入れるなどして聞いてばかりいたなという、どちらかといえば楽しくはない気持ちが思い返されました。
目をつむりながら兄との関わりを考えているうち、ふと日常の中のいくつかの場面が脳裏をかすめました。私は生まれながら鼻炎気味で鼻の通りがあまりよくなく、幼い頃はご飯の時によだれ掛けをかけていました。よだれまみれの私の口元を兄がティッシュで拭ってくれた場面が記憶の底から蘇りました。小学校に入学したてころ、私を手をつないで20分くらいの道のりを歩いてくれたことも思い返されました。私が小学生の時、寝る前に机で何かしている兄のもとに行き「何してるの」と聞いたら日記というものを書いているといい、私に日記の付け方を教えてくれたこと。食べ盛りの中学生の時には夕食の時、兄が「これお前食えよ」といっておかずのトンカツを一切れ分けてくれたことも思い出しました。
そうしたふとした場面が蘇ることに、自分でも驚きました。ふしぎなことに狭い屏風の中で3年ごとに期間を区切って1時間くらい集中して思い出していると、そんな場面が浮かんでくるのです。兄は小さい私をかわいがってくれたのだと、胸が熱くなるようでした。
所長からの呼び出し
しかし大学時代のことを思い出し始めた4日目午後になると、やはり怒りが湧いてきました。志望大学が変わり希望しない学科に進み、大学以降の人生に迷いに迷い続けたのは兄が誘導したからだという思いが湧いてきたのです。そして自分の手下にするかのように、上京した私を彼と同じ寮に住まわせたことなどを思い出し、腹立たしい思い出がふつふつと湧き上がってきました。
その日の午後初めの面接で、所長に正直に「この1時間は怒りがこみ上げてきました」と伝えました。所長はそれまでと変わる様子なく私の言葉を聴き、そのまま内観を続けるようにとおっしゃいました。しかし10分ほどたち所長が再び私の部屋に入ってきまして、「一度こちらにきてください」と声をかけ、別の棟にある所長の部屋に入りました。
その部屋で30分ほど所長と交わした話は、今回の内観体験のひとつのハイライトになりました。所長は部屋に飾っている1枚の絵の紹介をはじめました。右の絵です。これはこの道場の創設者である柳田鶴声氏が書いた絵だといいます。神々しく咲く蓮の花に目が行きます。所長は下の方を見るようにと促します。泥の下で四方八方に根っこが伸びています。
これはある母子家庭で育った大学教授の内観体験を絵にしたものだといいます。その大学教授は、母に複雑な思いを抱えてきました。母はいわゆる遊女で体を売って彼を育ててきたといいます。彼は育ててくれた母に感謝しながらも、「自分は汚れた金で育てられた」という思いが付きまとっていたといいます。悩んでいた彼はこの瞑想の森で内観をし、最後には「どんな過去があったにせよ、今の自分がいるのは母親のおかげだ」と悟り、自身が長年抱えていた胸のつかえが取れたのだそうです。大学教授という花を咲かせられたのは、泥から栄養を吸い上げて花に送り続けた根という母のおかげだということに気づいたのです。
所長は「内観とは愛情の落穂ひろいです」と語りかけます。何よりも相手の立場に立つことを大事にするようにとの助言をいただきました。
兄について内観を再開しました。兄の立場に立つことを意識して考えているうち、兄は私を必ずしも自分の側に誘導しようと思っていたわけではないのではないかという思いがしてきました。そう思っていたのは、私の認識が歪んでいたからではないか、兄の立場にたてば、もしかしたら弟に対してごく自然なことをやったに過ぎないのではないだろうかという思いがよぎりました。
「私も弟に同じことをやっていた」
その思いが強まったのは、弟に対する内観です。6、7日目に弟に対する内観を進めました。
私と弟とは、兄と私と同じく3歳年が離れています。幼い頃からよく一緒に遊び、野球も私が中学生の時まで一緒にやっていました。
ただ大学時代のことを振り返った時、兄が私にしていたことと同じことを、私は弟にしていたことに気づきました。弟の進路相談で私なりのアドバイスを言ったこと、彼が上京するとき近くに住ませてあげたいと思い下宿先の隣の部屋の手続きをしたこと。さらにわけもなく弟をバカにするようなことを言ったこともあったことなどが思い返されました。
それらはどれも、兄が私にしてきたことで、私が弟にもしてきたことでありました。
そんな過去があっても、弟は私を恨むようなことはしていません。弟は兄や私以上に大学進学や就職でも苦労を重ねていますが、過去にこだわり兄弟に当たり散らすことはしません。私に対しては今でも幼い頃から変わらない「大ちゃん」という呼び名で呼んでくれます。そんな弟の私に対する関わりのあたたかさに思い至った時、私が兄にこれまでとってきた態度に内心が激しく揺れました。過去にこだっているのは私だけではないかと思い至ったのです。
2日目の昼に聞いた放送で、内観の研究者の方が「川の水は流れ続けるから腐らない。止まる水は腐る」と話していたことを思い出しました。過去を腐らせているのは、紛れもない私自身だ。そう思った時に、自分の愚かさに胸がいっぱいになり、ただうつむくより仕方ありませんでした。
「養育費4000万円」の重み
愚かさを知る心にさらにトドメをさしたのは7日目最後の内観の時間です。最後は親が私にかけてくれた養育費を調べ上げるというものでした。かけてくれた養育費は愛情のあらわれでもあるという考えがあるようです。
社会人となり自立するまで、生活費、食費、学費、娯楽費など、参考となる計算表を元に算出します。食費も毎食を700円と置き(母は料理にはお金をかけたため)、それを高校卒業するまでの18年間365日食べたとします。家のお金もただではなく家賃を家族の人数分で等分にして費用に含めます。大学の学費や母が毎月送ってくれた毎月5万円分の生活費も含めて計算します。
1時間半ほどかけて私が算出したお金は4001万8800円でした。もちろんピッタリ正確なはずはありません。しかし、おおむね4千万円はかかっていることは確かでしょう。私は高校までは公立高校に通い、それほどお金はかかっていないのではないかと考えていました。しかし、23歳で就職するまでにこの費用がかかっています。さらに、親は3人の子供を全員私立大学に通わせました。父はよく「お母さんが働いてくれなかったら、子供3人は育てられなかった」とつぶやいていました。その言葉の意味を、この4千万円という数字はまざまざと知らしめるのに十分すぎるものでした。
父母はもし子供3人も育てなければ、全然違う人生があったでしょう。父は旅行好きですが、子供ができてからは海外旅行にいったことはなく、せいぜい車で半日ほどの距離で行ける範囲の旅行しか行っていません。母も海外に憧れがありますが、行ったのは新婚旅行で行ったハワイくらいです。どんなにやりたいことがあっても、子供のために我慢し、お金は子供の教育費に消えていきました。
私はずっと心の中で「やりたいことができていない」という思いがありました。しかし、そんな父母のことを考えると、私はなんと好きなことをやってきたのかと思いました。大学を勝手に休学せさせてもらいフィリピンや東南アジアを回りました。卒業旅行ではスイスやフランスへ、社会人になっても好きな山登りのためにアメリカに2度行き、ニューオーリンズで留学をさせてもらい、仕事でスペインにも行きました。山スキーに没頭したこともあります。そんな自分が「まだまだ好きなことができていない」と不満を募らせているのは、あまりに見当違いなのではないかと感じずにはいられませんでした。しかも父母は今でも「あんたの好きなことをやりなさい」と言ってくれます。そんな父母の内心を思うとき、私は自分のわがままっぷりが狂気にも近いのではないかと思い至り、自分がこのことに気づかなかったことへの愚かさをも感じ、胸にこみ上げてくるものを抑えることはできませんでした。
「わがまま」と「恩情」を知る
私がこの7日間で思い知ったもの、それは私自身のわがままさでした。そしてそのわがままを気づかないほどに、恩情をもって接してくださった周りの方々に恵まれてきたことに気づきました。
百冊の本を読んだとしても、このことには知り得なかったでしょう。外からの情報を一切合切断ち、自分の内側をひたすらに一週間見つめ続けたからこそ、悟り得たものだと思います。
7日間が終わり、所長の「お疲れさまでした」のねぎらいが疲れた心身に染みるようでした。終了後に同じ期間、内観にとりくんだ3人の方と小さな座談会がありました。内観にのぞんだ理由はそれぞれ別ですが、自分と向き合う時間を作りたかったという思いは共通していたと思います。みなさん清々しい表情が印象的でした。
なぜ伝えるのか
7日間を通じて私の疑問は、考えたことを伝える場を伝える「面接」がどうしてあるのかということです。聴き手は1時間半おきにきて「ただいまの時間お調べいただいたことは何でしたか」と聞き、あとは黙って聞くだけです。話し手が言ったことに肯定もしなければ批判もしません。それでも話し手は、話しているうちにこみ上げてくるものを抑えられず涙したり、絶句したりします。そして7日間を終えた後には一様に清々しい顔に変わっているのです。
キリスト教では神を前にして自身の過ちを告白して悔い改める儀式があります。仏教でも古い時代から仏の前で赦しを請うことは重視されてきました。内観は宗教色を一切排した取り組みですが、自身の過ちを言葉にして気づきを得ることは共通しているように思います。
また私はこのやりとりはコーチングと深い部分で重なると感じました。コーチングは、相手の中に答えがあるということを前提としています。コーチはクライアント側に、質問を投げかけて内省を促します。コーチはクライアントに対して具体的なアドバイスはしません。何よりです大事なことは良い聴き手であることです。コーチはクライアントの話を全身を耳にするように聴くことで、クライアント自身が気づくことを促す役割があります。
人に伝えることで、自分自身に気づきが生まれる。内観もコーチングにも共通しているところだと思います。畳半畳の部屋で一日15時間座り続けても、誰にも伝える機会がなければきっと、私の場合は寝ていたでしょう。誰かに伝えるからこそ、伝わる言葉で考えようとするのだと思います。聴き手の存在の大切さも実感する経験となりました。
内観は「自分の内側への旅」
内観を実際に体験したひとりとして、人生の節目を迎えている方や心が晴れない方などにおすすめしたいと思います。一週間の内観を体験することで、人生を大きく変えた方は少なくありません。私の場合は残念ながら聖人君子ではありませんので、内観後も悩んだり迷ったりしながら生きています。しかし内観をやったかこその気づきはあったと思っています。この気づきを今度は実行していく決意です。
集中内観ができる場所は全国で主に8カ所あるようです。右にリストを載せておきます。
私の浅い体験談ですこしでも興味を持っていただき、より内観のことを知りたいと思われる方は次の本などが買いやすくおすすめです。
コロナの中で自由に出かけられず、ストレスをためている方は少なくないと思います。そうした中、ひとつの行き先に「自分の内側」に選ぶことは、人生をかえるきっかけになるかもしれません。
長い文章を読んでいただきありがとうございました。