(この記事はnoteから転載しています)
noteを始めて3か月が経ちました。遅ればせながら、私の自己紹介と、ここで発信していきたいことをお伝えさせていただきます。
私はいま30代で記者の仕事をしています。大学卒業後、この仕事を11年続けてきました。政治や経済、企業、社会、科学など様々な分野の方に取材させていただき、記事を書いてきました。私は学ぶことが大好きで、記者になりたいと思ったのは取材を通じて世の中のあらゆることを見聞きできることに魅力を感じたためです。
10年以上続いた心のモヤモヤ
特に興味があるのは自然分野です。20代のころ駆け出し記者として栃木県の支局で3年間で働いていたとき、自然が社会に与える影響を目の当たりにしました。
県庁のある宇都宮市は、別名を「雷都(らいと)」とも呼ばれるくらい全国有数の雷が多い土地です。夏になると夕立の前には空で銃撃戦が始まったかのような爆音が響き渡ります。雷と合わせて竜巻も同時に発生することも多くあります。赴任していたときに死者が出るほどの事故もありました。現場では窓ガラスが砕け散っていたり、屋根が吹き飛ばされていたり、自然の脅威をまざまざと感じました。
自然と社会の関わりをもっと知りたいと思い、5年前に東京に戻ってからは環境分野の取材をしてきました。気候変動問題や異常気象などを追いかけてきました。もっと専門的に学びたいと思い、気象予報士の勉強を続け2016年秋に8度目の試験で合格しました。
ところが30代も半ばにさしかかってきたこの数年、何か心の中でモヤモヤしたすっきりしない気持ちを感じることが増えました。人生に対する違和感のような思いです。大学以降10年以上にわたって、ことあるごとに感じてきた頭の中の不協和音が強まってきたのです。
「自分はこの人生で、いったい何を大事にして生きていきたいんだろう」
静かな山の中を歩きながら、一人考え続けました。しかし、自然が好きだったり、学ぶことが得意だったりすることはわかっても、何を大事に生きていきたいのかどうしてもわかりません。心に暗雲が垂れ込めたかのようにどんよりした気持ちが長く続きました。
昨年5月に起きたあることをきっかけに、生きていきたい方向すらまったくわからなくなりました。好きだったはずの山歩きすらしたいと思えなくなりました。気づくと、大学生以降の自分の人生をすべて否定したくなる思いにかられ、何度も何度も頭の中で自己批判し続けるようになりました。思い悩むのすら面倒くさくなり、部屋から一歩も出ることなく、ベットの中で延々と眠り続け、起きてはスマホをいじってまた眠るという週末を繰り返しました。
自分ではない誰かになろうとしてきた
自分はいったい何者で、何を大事に生きていきたいのか。精神的に最底辺のときに出会ったのが、自分を徹底的に知るプログラム(#自己理解プログラム)でした。わらにもすがる思いでした。自分が何者で、本当はどんな人生を生きていきたいのか知らない限り、これから生きていけないという切羽詰まった思いで、受講を始めました。とにかく自分を知りたいという一心で、3ヶ月のプログラムを1ヶ月半でやりきりました。
自分の中で見出した価値観は「自然」でした。そして「自然体で生きること」が何よりも大事にしたい生き方だということに気づきました。
この価値観は、これまでの人生の猛省からきています。会社勤めをしているいまはまだ書けないこともありますが、私自身、大学以降ずっと自分ではない誰かになろうとして生きてきたところがあります。誰かになろうとすることは、裏返せば自分の否定と同じことだと思います。
自分以外の誰かになることなんて到底無理なことで、そもそもそんなことをする必要などありません。まったく不自然なことです。大切なことは、自分の心を偽らず自然体で自分らしく生きていくことです。そんな当たり前のことを、30代半ばにしてようやくはっきり気づくことができました。このことは、精神的どん底を経たからこそ、骨身にしみて思い至れたことだと思っています。
取材を通じて、私が魅力的だと感じた人にも「自然体で自分らしい」ことは共通しているように思えました。その人ならではの考えに従って生きている人は、飾らず、気さくで話も例外なくおもしろいです。メモをとる私の手も自然にイキイキと動きます。
逆に、どんなに社会的地位が高くても、自分の思いに従っているように見えない人は、私にはとても生きづらそうに見えました。話してても次の話題が出てこず、気まずい思いをしたことはたくさんあります。「自然体で自分らしく生きる」ことに、地位や肩書きはまったく関係ないことを知りました。
人が世間体ではなく、自然体でその人らしく生きていくには、どうしたらいいんだろうか。そうしたことを考える中、私はコーチングに出会いました。一対一の対話を通じて、自分の本心に気づき、人生をよりよい方に後押しするものです。
初めてコーチングの動画を見たときに、衝撃を受けました。記者として私は一対一で取材先とのやり取りを10年ほど経験してきましたが、コーチングと相手との問いかけが、まったく異なるものだったからです。平たく言えば「聞く」ことと「聴く」ことの大きな違いを感じました。興味を持ち、これまで5人くらいのコーチングを受けました。自分がやってみたかったやりとりは、事実を知る取材よりもむしろ人の心に焦点を当てるコーチングの方なのかもしれないと思うようになりました。
コーチングで自然体とどけたい
私自身も、人生に迷いのある人にコーチングを届け、自分らしい生き方を後押しできる仕事がしたい。そう思い、今夏からコーチングスクールで実践トレーニングを始めることを決めました。長年モヤモヤを抱え続けて生きてきた自分にとって、本当に大きな一歩だと思っています。
私はコーチングを通して「人が自然体で生きる」をテーマにしたいと思っています。自然体で生きて行く第一歩は、自分自身の中にある思いを、言葉にしていくことではないでしょうか。私は記者の仕事をする中で、言葉の世界の奥深さを日々感じてきました。私なりの経験を生かしたコーチングを届けることで、人生に迷いのある方に大事な気づきをもたらすことのできる仕事ができればと思っています。
このnoteではこれから、自然体で生きるヒントになるような情報を届けられたらと思っています。これまで風景写真を載せ続けてきたのは、私が山歩きが好きなことに加えて、自然の中に何か自然体で生きるヒントがあるのではないかと思ってきたからです。
「自然体で生きる」ということは、一見簡単そうですが、実はそうではないのかもしれません。私が長年悩み続けてきたように、どこか自分の人生に対して不自然な思いを持っている方は少なくないのではないのでしょうか。どうすれば自然体で生きられるのか、学びながら考えを深めていきたいと思います。そして私のnoteを訪れてくださった方に、自然体で自分らしく生きていくきっかけを届けていければと思います。
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