小学5年で出会った私の原風景

自己紹介

年末、北九州の小倉に帰省した。私は北九州で小学5年から高校3年までを過ごした。今回ここに帰ってきた目的は小文字山に登ることだ。山頂からの眺めは私にとっての原風景となる景色だから。

私は11歳、小学5年生の時に千葉県市川市から北九州市に引っ越してきた。市川市になくて北九州にあったもの、それは私にとって山だった。 北九州と聞いて、山というイメージを持つ人はほとんどいないと思う。 市内の人ですらそう思っている人は少ないかもしれない。たしかに北九州市内で最も高い山は標高622 メートルの皿倉山で、ロープウェイでいける山頂からの夜景がきれいということで知られているくらいだ。知名度のある山は全くない。

しかし私にとって北九州は山のイメージだった。千葉県市川市は関東平野のど真ん中にあり、360度見回しても山らしきものの姿はない。それが、せいぜい600メートルほどといっても山の姿がそばに見えるというこの景色の違いは私にとって大きかった。

北九州の北側の関門海峡に突き出るような地形を「企救(きく)半島」といい、その半島はまとまった山塊になっている。最高峰は足立山という598 メートル の山だ。 私はその山の麓にある富野小・中学校に通った。

足立山の北嶺にある山が小文字山という。小文字山とは名前の通り「小」という文字が山頂にマークされている山だ。1948年に国民体育大会が当時の小倉市で開かれた時につけられたものだという。京都の夏の風物詩「大文字」の「大」を真似たものだという。それまでは特別名前のない山だったそうだが、「小」という文字がつけられたから、慣習的に小文字山と呼ばれ、その呼び名が定着したそうだ。

11歳で山のそばの街に住むことになった私は、山がとてもふしぎなものに見えた。山の向こうには何があるのか、山はどこまで連なっているのか、どうして盛り上がっているのか、日々眺めているといくつもの興味が湧いてきた。

初めて小文字山に登ったのは引っ越してそれほどたたないうちだったと思う。500mほどといっても、小学生の足ではかなりの登山のように感じた。息を切らして山頂に着いた時、目に飛び込んできた景色が忘れられない。自分が住んでいる街並みが眼下にとても小さく見えた。建物がおもちゃに見えた。車がアリのように小さかった。そして目の前に広がる関門海峡から響灘にわたる青い海が鮮烈だった。

こんな景色があるのかということに私はひどく驚いた。

さらに、家に帰って別の驚きがあった。部屋のベランダから山頂を眺めると、あんな高いところにあるのかと。あそこまで自分の足で行けるなんてすごいなと思った。自分自身でもやれば結構できるものだなと思わせてくれた。友人や弟を誘い、同じ景色を何度も眺めた。

中学時代は野球部でひたすらこの山の麓を走り続けた。 私はピッチャーをしていたので特に足腰が大事だときつく言われた。鬼のような先輩らと森林コースを毎日のように6 km 走り続けた。

高校時代、私が地理が大好きで山の名前や山のでき方などを飽きることなく学び続けた。社会人になって、気象予報士になった。それもどれも、11歳の時に小文字山に出会ったことが何よりの原点にあると、今振り返ってそう感じている。

私は来春、17年の東京生活を終えてこの街に戻ってこようと思う。この街で数日過ごし、改めて東京生活のことを考えてみると、私は東京という大都市にあまり適応できることなく流され続けてきたのかもしれないという思いがしている。楽しかったという感想よりも、悔しさの方がずっと大きい。ここは、これから気持ちを丁寧に整理していきたいところだ。

しかしそうした17年間があるからこそ、私は自分で仕事をしようと思い至った。私のように翻弄され続けている人に、自分の軸を取り戻してほしい。小文字山頂から見下ろせる関門海峡は、潮の流れが複雑で日本有数の海の難所として知られている。船が難破しないために錨をおろすように、人が人生に翻弄されないための錨となる軸を見つけ出すことを後押しできる仕事をしていきたい。私自身もこれから、より自然と深く関わり、自然そのものや人の中にある内なる自然を探し、伝えていきたい。どこまでできるかはわからない、ただ心細くなった時、11歳で出会ったこの北九州の原風景が、私の力になってくれると信じている。

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