【心奮い立つ詩③】反対こそ自分をつかむこと〜金子光晴「反対」

私は「空気を読む」という言葉がきらいです。日本人の幼さを感じるからです。空気を読む人は、周りをキョロキョロして、どっしり構えたものが感じられません。個が確立していない人だろうとも思います。私は仕事を通じて、見た目や肩書きばかりがリッパな大人をたくさん見てきました。

空気を読む生き方は、処世術のひとつとしての知恵なのかもしれませんが、周りに合わせるばかりの生き方をしていると、しまいには自分を見失うのではないでしょうか。自分が何に興味をひかれ、何に熱い気持ちをもっていて、何をやっていて楽しいのか、次第にぼんやりしてくるでしょう。本当は人生に何を望んでいるのか、そんなことは見当すらつかなくなってしまうのだと思います。それは、自分自身の経験からも、辛いことだと思います。よくわからないものにコントロールされる人生は、決して心地の良いものではありません。生気を奪われていきます。

好きなものを好きだといい、イヤなことをイヤだという。当たり前のことかもしれませんが、自分自身の人生を生きるためには欠かせないことだと思います。とりわけ「世間体」という閉じた空気がはびこる日本で、同調圧力にからめとられずに、個を確立させて、自分らしく生きていくために「イヤをはっきりさせること」は大事なことだと、私は思います。

イヤなことはイヤだ、反対することは反対すると、高らかに歌った詩があります。金子光晴の「反対」という詩です。私が胸にとどめている詩のひとつです。

僕は少年の頃
学校に反対だつた。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻を向けてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

金子光晴詩集(岩波文庫)

あきれるほど極端な反対表明のうたです。「反対するために生まれてきた」という断言は、にわかには受け止めがたいほどにぶっ飛んでいるように感じます。

その中で、私が何度も反すうしているのが最後の2行です。「反対こそ生きていることだ。反対こそ、じぶんをつかむことだ」。

人には通常、2度反抗期があるといいます。2歳くらいのイヤイヤ期と、思春期です。思春期には、親に暴力を振るったり部屋に引きこもったり、極端な行動に出ます。私の場合は、親から何を言われても口をきかない「無言の反抗」でした。反抗期を通じて人は自分に目覚め、自立していくのだと思います。

私はこの金子光晴の詩を、精神科医の泉谷閑示さんの著書で知りました。泉谷さんは「私という個」のない日本人のあり方に疑問を投げかける著作を数多く出しています。「個」のない生き方を「0人称」という呼び方をし、いつまでも自立できない苦しいあり方だとします。そうではなくて、個を確立させた「一人称」として生きる道が、自分を生きる道だと説きます。

私には疑問があります。2回の反抗期をへても、果たして個として自立できるのでしょうか。日本は「みんないっしょ」であることを暗に強いる社会だと、私は感じています。「多様性はよいものだ」と表向きは言っていても、異論を許さない空気はいまだ濃く残り続けているように思います。8月に講談社現代新書から出た「同調圧力」という本がベストセラーになっているようです。私も読みましたが、共感するところが多々ありました。「レイワ」という現代的な響きのある元号に変わっても、息苦しい日本社会の本質は昭和とさして変わっていないということが実態なのではないかと思います。

世間に埋もれた「0人称」ではなく、「一人称」として生きるにはどうすればいいのでしょうか。それはやはり、自分がほか誰だれでもない自分であるということに気づくことなのではないでしょうか。自らの個別性に目覚めるということだと思います。それには、何がイヤなのかをはっきりと自覚することが大事だと思います。自らのYesとNoをはっきりさせること。それが成熟した大人になることだろうと思うのです。

個を確立させた一人称になると、どのような変化があるのでしょうか。泉谷さんの次の言葉は印象深いです。

一人称になる前後で、クライアントの言葉は、明らかな質的変化を遂げます。「世間」内言語を使わなくなるのはもちろんのこと、使う言葉一つ一つについて、丁寧に手垢を落とし、慎重に選び取るようにもなります。そして、真に自分自身が感じ取ったことに基づいて湧き上がってくる考えを、純化された言葉で紡ぎ出すようになるのです。借り物の思想や言葉を咀嚼しないままに振り回すことが居心地の悪いものに感じられ、身の周りに満ち満ちているそのような言説に対して鋭敏に違和感を覚えるようになります。

泉谷閑示、「私」を生きるための言葉(研究社、p.76,77)

自分自身の人生を生きると決意するとき、それはそれは世間のよくわからない「当たり前」に対してノーという意思表示をするときでもあるのではないでしょうか。本気でノーと言えるものがなければ、本当にイエスと言えるものもきっとないでしょう。本当にイエスといえるものがなければ、何を大事にして生きていいのかわからず、愛するものも見つからないままだと思います。

あなたは何に反対しますか。そして何を愛しますか。

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