この6ヶ月の旅は、36歳の自分ができる渾身の挑戦でした。挑戦といっても肩肘張ったものではなく、心の声に従うままに動き回っていただけのようにも思います。
旅によって、聖人のような悟りを得たわけではありません。しかし、自分の内側では新たな価値観が芽を出したように感じます。
目次
食べることは「現地の経験」
思ってもみなかった変化は「食」への意識です。私は食べることについて、さほど興味の強いタイプではありませんでした。貧乏学生時代は、毎昼300円のからあげ弁当をかき込み、会社員時代も忙しさにかまけてファストフード店にもたびたび行っていました。自炊もよくしていたのですが、凝った料理を作るわけではなく、お腹が膨れればいいという発想が第一でした。
この旅では、各地の食材を使った料理をいただきました。どれもが印象に刻まれています。心に刻まれた食べ物を思い起こせば、あっという間に次のようなリストができあがります。
このどれもが率直に「おいしかった」といえます。しかし、ただ「味覚的によかった」ということだけのものでもないと思います。「味覚的にいい」というだけでしたら、ファストフードでも事足りるかもしれません。
現地ならではのものを食べることは、それとどう違うのでしょうか。私なりの実感として「食べることは経験」と思うようになりました。そこで採れたものを現地ならではの食べ方でいただくことが、そのまま心ふるえるえる喜びでした。五感を使って現地を食べているという感覚でしょうか。このことは、新緑の季節に胸いっぱい清々しい空気を吸ったり、心ときめく人と一緒にドライブに出かけたりする時に感じる胸の高鳴りに近いかもしれません。それは都会のファストフードで「空腹を埋める」こととは明らかに異なるものでした。
体感は「嘘のない経験」
食の経験を重ねる中で、さらに価値観の芽生えとして気づいたのは「体感する」ということです。頭だけで分かったつもりになるのではなく、自分の身体のセンサーをフル稼働させて何かを感じ取ることが「いまを余すところなく生きている」喜びになると知りました。
正直、旅の途中にはつらい時もあります。真夏の車内は40度近くにまで上がり、窓を全開にしても入ってくるのは風ではなく虫で、眠れない夜を過ごしたことも一夜二夜ではありません。冬は車内が0℃近くにまで冷え込み凍えながらzoomでミーティングした朝もあります。灯りひとつない森や海の空き地で、心ぼそく朝が来るのを祈りながら眠った夜も数しれません。
しかし、177日間を振り返りながら意外に感じたのは、それぞれの場所で過ごした時の気持ちや見ていた景色を鮮明に思い起こすことができることです。その時に感じていた暑さや寒さ、高揚感や不安感も同時に呼び起こされます。家に帰って数日暮らしてみると3日前のことはほとんど忘れています。しかし旅の記憶は鮮明です。体感することは、心身に刻まれる「嘘のない経験」と言えるのかもしれません。
この「まるごと体感する」ことは、オンラインサービスがどんなに普及したとしても、なかなか追随できないのではないでしょうか。VRゴーグルなどの技術の進歩はすばらしいものだと思いますし、それによって体験できる知覚の世界はどんどん広がっていくでしょう。しかし汗の滴る暑さ、身の凍える寒さ、闇を照らす朝陽のまばゆさ、香ばしい焼き魚の匂い、夏の森に踏み入れたときの草いきれ、肌をなでるやさしい風など、自然との交感によって呼び起こされる人間の感覚を、オンライン技術によって再現し切ることはできるのでしょうか。
世の中の「当たり前」に疑問
旅をしながら、世の中で「当たり前」とされる考えに疑問を感じるようになりました。「快適」「便利」「安心」を追い続ける社会の先に、「ゆたかさ」があるのかということです。もし「ゆたかさ」が「快適」「便利」「安心」で測られるのであれば、今の日本は地球史上、圧倒的なほど「ゆたか」な社会でしょう。しかし、もし本当に「ゆたか」な社会なのであれば、なぜ毎年、東日本大震災の死者数を上回る2万人以上が、自ら命を絶つのでしょうか。そこにもつながる心を病む人が、なぜ400万人もいるのでしょうか。目も耳も覆いたくなる凄惨な事件が絶えないのはどうしてでしょうか。私たちは何を「ゆたかさ」の基準として社会をつくっているのでしょうか。
「ゆたかさ」や、ひいては「幸せ」の物差しは人それぞれなのだと思います。それぞれの違いをお互いに認め合い、リスペクトし合えることが、真にゆたかな社会の土台になるのではないでしょうか。
旅と仕事が両回転
この旅は、仕事をしながらの旅でした。コーチングは80時間以上のセッションを作り、執筆業もしていました。仕事仲間との打ち合わせの時間も毎週末のようにありました。
そうした半年を過ごしているうちに、感じたことがあります。それは旅と仕事は「両立」させるものではないということです。
まじめな私たちは「仕事」と「旅(遊び)」を分けて考えることが前提になっているように思います。仕事はマジメにするもの、旅は息抜きのためのもの、といった具合でしょうか。しかし、これもまた「薄っぺらい常識」として、一度疑ってみてもいいのかもしれません。
私の実感としては、旅をするからこそ仕事も進むということです。また、仕事をするからこそ旅もまた深まるとも言えます。仕事と旅はそれぞれ別個のものとして「両立」させるものではなく「両輪」であるのだと思いました。
皆さんの周りにもいるのではないでしょうか。仕事で第一級の成果をあげている人は皆「おもしろそう」ではないでしょうか。例えば私はコーチング業をしていますが、第一線のコーチのセッションは、クライアントと当意即妙の対話のダンスを楽しんでいるように聞こえます。遊びと仕事の境界がどこにあるのでしょうか、もしくはもともとそんなものはないのかもしれません。
仕事と遊びを両輪で回せる時代は、もう誰の手の中にもあります。誰にとっても共通の「正解」がある時代は、もうとうに終わっています。とりわけ新型コロナが起こした社会の激変によって、私たちはそれを明らかに知ってしまいました。これまで闇雲に信じていた「正解」を手放すことは勇気がいることだと思います。私もそうでした。しかし、そのこだわっていた誰のものかよくわからない「正解」を手放した時、世界が開けることを知りました。
情報発信が想定外の展開生む
旅を通じて、自分の活動を発信していくことが、想像もしない展開を呼ぶことも実体験として知りました。私の場合は、SNSの発信を見てくださっていたかたが、各地で声をかけてくださいました。福島で講演の機会をいただいたり、北陸では新聞にも載せていただきました。古巣の日経新聞のネットラジオにも出演させていただきました。旅する前では、想像すらできなかったことでした。身の丈以上のチャンスを作ってくださった方々には感謝の言葉もありません。
SNSなどの発信は、人によって好き嫌いや考え方の違いも多々あると思います。私もSNSが大好きというわけではまったくなく、気が散るメッセージのやりとりは最低限にしたいと思うタイプです。ただ、SNSは、個と個がつながりあって新たなものを生み出せる力があるのだと思います。とりわけ独立をすると、自分が何を考えて、どのような活動をしているのか、外に発信することが、仕事の相手に自分を知ってもらうためにも大切なのではないかと思います。
独立するまでの悩み
しかし「仕事しながら旅をすること」や「独立する」といった大きなライフシフトを実践している人はまだ少数です。私自身も独立する前は、不安ばかりを抱えていました。
私は大学入学以来、気分の浮き沈みが大きいことを自覚し、社会人になって「不安障害」という診断を受けました。10年間抗不安薬を飲み続け、33歳の時には立ち直れないほどのうつ状態になりました。週末は24時間ベッドの上で天井を見上げながら「自分は何のために生きてきたのか」と考えてはその気力もなくしてまた眠りこけるという、どこまでも怠惰な9ヶ月を過ごしました。
そんなどん底の時、インターネットで自分を洗いざらい知り直すプログラムを偶然見つけました。当時の自分は「自分の価値観がまったくわからない」ことに、喉をかきむしりたいほどの精神的な渇きがありました。藁をもすがる思いで3ヶ月、自分の価値観を徹底的に見つめ直しました。それによってバラバラに砕けていた自分のピースを組み立て直し、新たな自分が立ち現れたような感覚を得ました。
この時期にたまたま「コーチング」という仕事を知りました。初めてその動画を見たときに「もしかしたらこれは自分ができることかもしれない」と直感的に思いました。1ヶ月後にはトレーニングを始め、自分もコーチをつけながら、対話が人を変えていくふしぎさに惹かれていきました。
いろいろな方との出会いや対話があり、35歳で独立して生きることを決めました。新卒から12年勤めた会社を辞めることは、これまでの人生史上、最も大きな決断でした。会社を離れて9ヶ月経ちますが、自分でもふしぎなほど、その決断に一寸の後悔はありません。
もしこれから大きな決断をしたい人に、自分なりに伝えられることがあるとすれば、自分が何を大事にして生きていきたいのか、ご自身の価値観をはっきりさせることが大切なことだと思います。これまでの人生の中で、心から充実していたと思える体験や時間を忘れて夢中になって過ごしたときの頃を振り返り、それはどうしてなのかご自身に問いかけてみてください。そこには、あなたしかない「価値観の種」があるはずです。その種こそが、自分が何者で、他の人とは何が違うのか、自分ならではのものが何なのかを示すものです。価値観の種を発芽させ、大きく育てていくことが、自分の人生を生きるということなのではないでしょうか。
旅をしなくても
旅は自分が大事にしたいことに気づくきっかけになりますが、旅にでなければそれはできないことなのでしょうか。そんなことはないと思います。
この旅で最後に訪ねた坂村真民記念館(愛媛県砥部町)で、出会った詩に「旅しなくても」というタイトルの一編を見つけました。
世界を見てまわったからといって 決して自分が大きくなるわけではない 自分を広くするためには 自分の心を解き放つことである
大切なことが旅自体にあるわけではなく、「心を解き放つこと」なのであれば、それはキャピングカーで日本をめぐらなくてもできそうです。普段の生活でも、心を解き放てる時間があれば、私たちは日々をよりゆたかに、鮮やかに変えていけるのではないでしょうか。
心を解き放つ時間は人それぞれでしょう。ある人は料理に夢中になっている時間、ある人は親しい友人とお酒を飲み交わしている時間、ある人は海辺を黙々と走っている時間、ある人はギターを弾きながらお気に入りの曲を口ずさんでいるときかもしれません。
こう書きながら、コーチングができることの一つは「心を解き放つ時間」を作ることなのかもしれないと思い当たりました。コーチングが何かについてはプロのコーチでも定義がそれぞれで「上司が部下の目標達成に使うマネジメントスキル」という考えをしている方もいます。しかし、私は単なる「目標達成のためのスキル」ということだけで捉えるのは、あまりにもったいないと思っています。私自身この旅は、コーチとの対話から生まれました。もしコーチングが単に「仕事の目標達成」なのであれば「キャンピングカーで日本をめぐる」といった発想が出てくるはずがありません。コーチングは、カタカナ言葉でなんとなく緊張感のある響きですが、私はその本質は「ゆたかな対話の場」だと思っています。私自身はこの旅の経験を土壌にして「心を解き放てる対話の時間」を届けていけるコーチになっていきたいと思います。
ふるえる旅は続く
半年間の旅は終えました。2年前までカーテンを閉め切った東京の真っ暗な部屋で24時間ベッドに横たわっていた私が、日本一周という思い切った挑戦ができたのは、自分自身が何を大切にしたいのかということを見つめ直したことが原点です。「大切にしたいこと」は、一人で見つけたものではなく、心ある人たちとの対話によって、再発見したものです。心ある人との対話は、光の届かない極夜が冬至を超えて、再び太陽の光が戻っていくように、私の胸のうちを再び照らしていくようでした。心の中に、目覚めの朝陽が昇ってくるかのようでした。
私は誰の胸のうちにも、目覚めの朝陽があると信じています。その朝陽を見つけたとき、その人の物語は新たな朝を迎えるのではないかと思っています。
フルエール号の旅はここで一区切りになりますが、私はこれからも、目覚めの朝陽を見つけ、その光に従って生きようとする人にフルエール(めいっぱいの応援)を送り、ふるえる時間をともに作っていきたいと思います。
最後になりますが、この旅に関わってくださったすべての方に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(完)
コメント
コメント一覧 (1件)
あべさんの巡る旅をSNSで擬似体験しながら、こうしてまとめを読んでみる。
今までになかった経験をさせてもらいました。
モヤモヤとした時代ですが、切り拓くのは自分の気の持ち方次第だと思いました。新年のスタート、人生の楽しみ方を探っていこうと思います。