無人の風景画に映した心 東山魁夷記念館

私見

 さざ波一つなく、鏡のように岸辺の森を映し出す湖のほとりを、きゃしゃな体つきの白い馬が静かに歩く光景。風景画家の東山魁夷(1908-99)の作品はどのようなものかと聞かれた時、多くの人が思い浮かべる絵のイメージではないだろうか。

 東山魁夷にゆかりのある市川市に、彼の作品を展示する記念館がある。JR下総中山駅で降り、鎌倉時代の古刹、法華経寺の甍作りの大門をくぐり、戸建ての並ぶ閑静な住宅街の細道を抜けると、白色の壁に茶色のレンガ調の屋根をのせた欧州風の館が現れる。ここが記念館だ。ドイツのトウヒに似た背の低い針葉樹が並ぶ石畳のエントランスを進み、こげ茶をした重みのある鉄の扉を開くと、魁夷の世界が始まる。

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(記念館は東山魁夷が生涯愛したドイツの建物をモチーフにしているそうだ)

景色の中にいるような安らぎ

 ここを訪ねたのは、魁夷の著作を読み、風景画に込めた深い思いに触れ、より彼の考えを知りたいと思ったからだ。彼の作品のほとんどは無人の風景画だ。冒頭にあげた白い馬のイメージが強いが、作品群を見るとほとんどの絵は山や川、草原、木々、湖など自然の風景だけを映したもので、人はおろか動物ですら姿がない。そこには何かわけがあるのだろうか、探りたい心がうずいた。

 西洋風の館は2階建てのこじんまりとした空間だ。1階は魁夷の90年間の生涯を主な出来事とともに紹介した年表や、青年期のドイツの留学時に旅した欧州各地のスケッチなどがガラスケースに展示されている。老婆を軸に描いた2メートルほどの大きな作品もあり、青年期の彼が作風を模索している様子を感じる。そして、曲線状の階段がこの記念館の核心部となる作品の展示場に続いている。

 クラシカルな音楽が耳をすますとかすかに聞こえるくらいの音量で包む展示場には、欧州各地をモチーフとした風景画が23点展示されていた。魁夷は25歳でドイツに留学して以降、晩年まで欧州各地を旅し続けた。

 私が特に惹かれたのは、「山湖遥か」(1967年)というタイトルの作品だ。フィンランドの湖から構想を得たものだという。深緑の針葉樹の森に抱かれた2つの湖を少し見下げる角度で描いた風景画だ。色合いが微妙に異なる緑色を重ね合わせた森と、薄青色の配色を施した湖と空が、キャンバス上で渾然一体と溶け合っている。静謐な湖面には薄雲から漏れ伝わってきているのだろうか、鈍い光を反射させている。手前の湖に前をこらすと、かすかに幾筋かの小波が揺れている。フィンランドには日本で越冬するキンクロハジロなどのカモの仲間などが多くいるのだという。この波の揺れは、水鳥が湖面に舞い降りた跡なのだろうか。

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(長く見ていると実際の風景の中にいるような錯覚を覚える)

 作品の前に10分あまり佇んでいると、早朝の森の清澄な微風が肌を撫で、木々が放つ爽やかな香りに包まれ、小鳥のさえずりすら聞こえてくるようだ。景色の中にいるような安らぎを覚えた。

 解説によると、この絵は単にフィンランドの光景を描いただけではなく、北海道の東部、阿寒湖に近い小さな2つの湖、ペンケトーとパンケトーを臨む展望台、双湖台からの眺めも加えているのだという。魁夷自身の解説では、この遠近の2つの湖の配置がこの構図の要となっている、ということだ。

 私は広大な景色を映した写真を見ることが好きで、中学生の頃から風景写真集を愛読している。私が魁夷の絵に惹かれるのは、彼の作品が風景写真を思わせるからだろう。ただ写真と絵画が違うのは、絵画は本当はそこにないものを、作家のイメージによって作り上げることができるという点だろう。写真も構図や光の加減などで撮影者の思いを反映させることができるが、絵画の方が作家の考えをより自由に表現することができる。その芸術性に憧れる。

 23点の作品も、どれもが無人の光景だ。人のいない景色ばかりなのはどうしてなのか。やはり気になる。

魁夷の視点が「私達」の風景に

1階の解説室にその手がかりとなる一節があった。「人や動物のいない風景」という説明書きだ。学芸員の方の考察なのだろうか、次のようにある。「作者と見る者とが心を通わせ合おうとするとき、そこに余計な点景などはないほうがいいと画伯は考えた」。少し言葉足らずで十分な説明とは言えないように思った。

 改めて彼の著作「日本の美を求めて」を読んでみた。そこには次のような一節がある。「人間同士の心は互いに通じ合えるものである以上、私の風景は私達の風景となり得る。私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、どこまでも私自身の風景観を掘り下げるより道はないのである」とある。

 よく「写真は引き算」と言われる。伝えたいものにフォーカスするために、余計なものを省くということだ。文章でも「一つの記事につき、伝えるべきことは一つ」というのが鉄則だ。一つに絞っているからこそ、密度の高いものが作れるし、その分人に伝わる。魁夷の言う「掘り下げる」というのは、自身の心象に映ったものの中でも、特に印象深い光景に焦点を合わせ、それに自身の解釈を加えて、描きたい景色だけを抽出するということを言うのではないだろうか。

 風景画は、魁夷に限らず人が映っていない作品が多い。その中でも魁夷の作品はとりわけ、一つ一つの作品で描いている対象が少ないことに特徴があるように感じる。「山湖遥か」でも映っているのは湖と森と空だけ、代表的な作品「道」は一本の道と草むらだけ。花もなければ昆虫もなく、民家もない。魁夷自身もそうした対象を限りなく絞り込む手法にはじめから自信があったわけではないそうで、例えば「道」では「これだけで絵になるのか」と制作中に不安を覚えたそうだ。

 私はこうした魁夷の対象を絞り込んだ、何を書きたいのか明瞭にわかる作品が好きだ。無人とはいえ、魁夷の作品はどこかに温かみを感じる。時代を超えてファンが多いのは、それぞれの作品からは自然の厳しさだけでなく、むしろ温かみや包み込まれるような安らぎがにじみ出いているためではないだろうか。私なりの解釈を加えると、魁夷の視点が「私達の風景」として共有されるほどに深められることで、一人一人孤独な私たちがその景色を共に見ているような心持ちにさせてくれるからではないだろうか。彼の絵を見てると誰かと一緒にいるような安らぎを覚えるのは、その辺りからくるように思う。

苦悩を重ねた半生にも共感 

 魁夷は両親の不和などが原因で、繊細で傷つきやすい心を持った子供に育ったことも知った。中学時代は不登校も経験している。戦時下の兵役では対戦車攻撃の部隊に配属され死の縁を見た。21歳で兄を亡くし、34~37歳の間に父、母、弟も相次いで亡くし、肉親を全て失った。画壇からも長く評価されなかった。現代人から見れば大画伯というイメージが強いように思うが、決して順風満帆な青年時代を送った訳ではない。

 夕陽が差し込む山々の稜線を描いた「残照」という作品で日展で特選を受けてようやく日の目を浴びたのは39歳の時だった。当時としても遅い出世だったそうだ。そうした苦悩を重ねた人生に裏打ちされているからこそ、その後90歳まで描き続けた作品に、時代を超えて人の心を打ち続けるものを込められたのではないだろうか。

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(青森の種差海岸を題材にした代表作「道」は42歳の時の作品だ)

 記念館にはショップもあり、私は手元に置きたいと思っていた作品「道」買った。まっすぐに伸びた一本の道。迷いのない一本の道は、清々しさと共に確かな覚悟も感じさせる。魁夷42歳、画家として生きていくという決意を込めたものだと聞いた。

 人の人生はこの絵のように、きれいに一直線に進むことなどきっとありえない。紆余曲折をたどり、気づけば思ってもみなかった泥沼にはまっていることもあるに違いない。だけれど何かの出来事をきっかけに、その人が本来歩むべき道を見出し、立ち上がって新たな未来を作り得る道を一歩一歩進んでいくことだってできるはずだ。

 自分の心に未だ消えない火を信じ、再び燃えたぎらせ、進むべき道をまっすぐ歩いていけるかどうか。この絵のまっすぐな直線の道は、見るものにその決意を静かに問いかけているようだ。

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