高知県の坂本龍馬記念館を先日訪ねた。自分は歴史に詳しい方ではないけれど、龍馬はどうして脱藩したのか、そして脱藩にあたって何か葛藤はなかったのか、自分なりに知りたかったからだ。
脱藩は現代の脱会社
記念館を訪ね、その後いくつかの本を読み、脱藩とは組織から抜け出るという意味で、いまの脱会社と近いところがあるのではないかと感じた。
龍馬が28歳で脱藩したのは、開国や攘夷に揺れる日本を自分の力で変えたいと思っためだ。土佐というひとつの藩にとどまっては国を変えることはできない。10代で江戸に剣術修行に出て、さらに長州藩との交流なども経て時代の大局観を養った龍馬には、自分こそが世の中を変えるという使命感が生まれた。また自分の力がどこまで時代に通用するのかどうか試してみたいという思いも強かったのだろう。
これは現代の会社員が独立するひとつの考え方に似ていると思う。何かやりたいと思ったことが出てきた時、会社員という枠組みは障壁になる時がある。時間の制約や就業規則などによって自由にできない。いくらスキルを身につけてもそれを活用できない状態であれば、独立して存分に試してみたいと思うようになるだろう。さらにそれが時代が求めているサービスで、自分にしかできないと思えることであれば、使命感も湧いてくるだろう。
経済面や愛着への葛藤
ただ会社から離れて独立するのは、不安や葛藤もある。龍馬も脱藩する上でそうした気持ちにならなかったのだろうか。
龍馬の手紙などからは郷里の土佐を離れることの愛着の葛藤が感じられる。3歳上の姉の乙女への手紙の多さがそれを物語っている。「人、誰か父母の国を思わざらんや」といった故郷を慕う言葉も出てくる。長く所属した組織から抜け出ることに感情面の痛みが伴うことは現代も同じだ。
また脱藩に対する罪の意識への葛藤も感じられた。脱藩という言葉は明治以降に作られた言葉で、当時は「出奔(しゅっぽん)」という言葉が使われていたそうだ。龍馬の手紙にもこの言葉が出てくる。出奔とは逃げ出すことという意味で、よりネガティブな意味合いが強くなる。
脱藩は藩主にそむくことで脱藩者が出たところは家族にも罰が下る。幕末は脱藩者が相次いだため黙認することもあったというがそれでも、家の取り潰しにもなりかねない企てに、罪への葛藤は大きかったのではないか。
そして経済面での葛藤もあったろう。龍馬の若い頃の手紙は借金に関する内容のものもあり、金銭面でのやりくりの苦労もうかがえる。武士にとどまれば俸禄というサラリーは確保される。脱藩浪士となり金銭面の保障がない身分に変わることは、やはり大きな決断だったのだろうと思われた。
現代でも会社を離れて独立するにあたっては、経済面での葛藤というのは大きなものだ。会社員でいれば毎月の給料は自動的に振り込まれる。それを自ら稼ぐ生き方に変えることは、だれにとっても人生の一大転機になる。
志を叶えたい心が葛藤を上回るかどうか
現代は幕末と違って職業を選ぶ自由があり、仕事の種類も無数にある。起業への社会的な理解も広がっている。それでも勤め人から独立しようと考えることは、ためらいがつきまとうものだ。会社の外に飛び出すことに葛藤があるのは当然だと思う。
ただきっといつの時代も、志や使命感がその葛藤を上回るものであれば、人は新たな人生に踏み出す決断をするのだと思う。最後に自分自身に問うのは、心に宿した志を叶えたいと願う心が本物かどうか、その一点なのではないか。龍馬ほどの人物ですら脱藩に葛藤していたというエピソードは、脱会社に迷う現代の私たちに勇気を与えてくれると思った。
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