京セラの創業者、稲盛和夫さんを慕う中小企業経営者の方は多いと思います。稲盛さんが1983年に立ち上げた経営の私塾「盛和塾」は、2019年末の閉塾時には国内外1万5千人の経営者が集う場でした。本屋の経営理念に関するコーナーに行けば、稲盛さんの著作は全国どこへ行っても一角を占めています。
稲盛さんのいったい何が、経営者を引きつけるのでしょうか。独立して理念を作る仕事を始めた私自身、切実に知りたいという思いに駆られました。京セラの本社(京都市伏見区)に、稲盛哲学を伝える稲盛ライブラリーがあると知り、訪ねました。
目次
稲盛哲学が5フロアに
稲盛さんは日本でも最も著名な経営者の1人でしょう。京セラの創業者として一代で同社を世界的企業にしたことにとどまらず、電気通信事業の初の民間企業である第二電電(現・KDDI)の創設者でもあります。さらに、戦後最大の負債を抱えて経営破綻した日本航空(JAL)を再建した救世主でもあります。加えて、ノーベル賞にもひけを取らない国際賞である京都賞を立ち上げた人物でもあります。これら実績を並べるだけでも、けた違いのスケールをもつ経営者です。
稲盛ライブラリーは5フロアあり、稲盛さんの生い立ちから、経営者としての思想、数々の新製品を生み出した技術や社会活動までが一覧できる施設です。ライブラリーは一般公開されており、無料で入場することができます。本社のすぐ隣に立っており、同社が稲盛哲学をいかに重視し、さらに社会に向けて伝えていこうとしているかが伝わってきます。
20代前半まで「第一志望」に落ち続ける
展示を見てそうそう、稲盛さんが20代前半までことごとく「第一志望」の道から外れた人生を送ってきたことが印象に刻まれました。
稲盛さんは印刷工場を営む両親のもと、鹿児島で7人兄弟の次男として生まれました。まず中学受験で失敗し、やむなく進んだ中学では結核の病を患いました。結核は当時は「不治の病」とされ、死にいたる病でした。命は助かったものの、高校受験にも失敗し、大学でも志願していた旧帝大に落ち、地元の鹿児島大学に仕方なく進むことになりました。就職活動でも不採用ばかりで、希望に反して大学で学んできたことと異なる京都の碍子メーカーに進みました。
就職先は「給料すら期日通りには支払われない」ほどの落ち目の経営状態で、同期の5人中4人が3年ほどで退社するほどでした。展示を見ながら、現在の「偉大な経営者」である稲盛さんの姿と、「小学校の頃にガキ大将だった」程度にしか目立つところのない青年時代までのエピソードの隔たりの大きさに、目が点になる思いがしました。
理念を変えた「社員の反乱」
稲盛さんが京セラを創業したのは27歳の時です。そこから経営者としての道を歩み始めました。稲盛さんは数々の著作で、経営理念の大切さが繰り返し説いています。それは創業当初の「従業員の反乱」がおおもとにあることを知りました。
立ち上げ当初、京セラの理念は「稲盛和夫の技術を世に問う」でした。若き日の稲盛さんら創業メンバーの意気込みが伝わってきます。しかし、これを見直さざるを得なくなったのが、創業3年目だったといいます。前年に入社した高卒の従業員11人が、会社側に給与の保証など団体交渉を挑んできたためです。自分の家族すらこの先食べさせていけるか分からないのに、従業員の保証までしなくてはならない経営者の責務を突きつけられ「会社とはどういうものでなければならないか」ということを真剣に考える転機になったといいます。
その結果、将来にわたって社員やその家族の生活を守り、全員の幸福を目指していくことでなければならないことに気づいたそうです。そこで言葉にあらわした経営理念「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、 人類、社会の進歩発展に貢献すること」は、50年以上たった現在でも不変です。転機を迫られた時、逃げずに考え抜いたからこそ、現在でも響き続けるのだと思います。
「物心両面の幸福を追求」というのは、京セラだけでなくJALでもまったく同じ文言が使われています。また中小企業の中にも同じ言葉を取り入れている例が数多く見られます。社員の幸福の追求は、業界や会社の規模を超えて、企業経営をする場合に変わらず第一に目指していくべきものなのでしょう。
理念によって経営に打ち込めるように
理念を立ち上げたことで、何が変わったのでしょうか。稲盛さんは次のように語ります。
(立ち上げた経営理念は)私利私欲を超えて、企業に集うみんなが心の底から共感し、共鳴することが可能でした。また、一切やましいことがないため、経営者である私自身も、この目的追求のため、一切の躊躇なく、全力で経営に打ち込むことができました。
経営理念はよく経営のコンパスとも言われます。まさに企業理念が進むべき道を指し示すようになったことで、経営者や働く社員の迷いをなくし、仕事で成果を上げるために必要だったことを物語っています。事実、創業7年目に京セラはIBMから半導体の大型受注を受けます。当時の京セラの技術水準をはるかに超えた依頼だったといいます。開発は困難を極めたそうですが、受注から2年がかりで納入に成功したことが、京セラを大きく飛躍させる転機となったのです。
「考え方と熱意」が成果の違いを生む
稲盛さんは著作で「心」の大切さをしつこいくらいに書き綴っています。稲盛さんの初の著作「心を高める 経営を伸ばす」という、心を第一に扱ったものでした。トップビジネスマンとも言える稲盛さんは、なぜここまで「心」を強調するのでしょうか。
稲盛さんは多くの著作でご自身が考え出された「仕事と人生の成功の方程式」について語っています。ご存知の方も多いと思います。
人生や仕事の結果=能力(0〜100点)×熱意(0〜100点)×考え方(-100〜100点)
私はこの方程式を初めて見た時に、なぜ「考え方」だけがマイナスまで含めているのか気になりました。そもそも、マイナスの考え方とプラスの考え方は何が違うのでしょうか。
稲盛ライブラリーでは、この方程式について語った45分の動画がありました。盛和塾の会員、千人以上を前にして語っている映像です。考え方がプラスかマイナスか、それぞれ具体的な基準をあげ、次のように説明しています。
考えがプラス:前向き、協調的、明るい、肯定的、善意、思いやり、優しい、真面目、正直、謙遜、努力家、利己的ではない、欲張りでない、足を知る
考えがマイナス:後ろ向き、否定的、非協調的、暗い、いじわる、他人をおとしめる、不真面目、嘘つき、傲慢、怠け者、利己的、強欲、不平不満、人を恨む、人を妬む
言われてみれば、どれも当たり前のように思います。しかし、どんなに能力が高くても、考え方がマイナスであれば、たちまち負の成果しか生むことはできません。稲盛さんは、考え方>熱意>能力の順に重要だと説きます。なによりもその人自身の考え方が大切だと強調します。
考え方というのは、つまり心の持ち方でしょう。熱意もまた、心のうちに入るでしょう。能力に関してはどうしても先天的なものもあります。私たちが鍛え、コントロールできるのは考え方と熱意です。この2つを左右するのが「心」だからこそ、言葉を変えエピソードを変えながら、本質的には同じことを繰り返し説いているのだと思います。
人間の「3つの燃え方」
私が個人的に稲盛さんの考え方で、最も好きなものの1つが「人の燃え方」です。人間には3つの燃え方があると言います。「可燃性」「不燃性」「自燃性」です。
可燃性とは、外側から何か刺激を受ければ燃える人のことを言います。上司からの指示に従って、きちんと成果を上げる社員のようなイメージでしょうか。評価されるべき望ましいタイプだと思います。
不燃性というのは、外部からの刺激に関わらず、燃えない人のことを言います。やる気を引き出そうにも引き出せない、残念ながら戦力になりづらい社員とも言えそうです。
自燃性は、自ら燃える人のことを言います。人から何か言われなくても、自ら進んで目標を見つけて進んでいく人でしょう。舗装された安心安全な登山道を行くのではなく、自らリスクを取りながら道を切り開いていくクライマーのような印象を持ちます。
私も含めた個人事業主や経営者は自燃性であることが求められると思います。組織から離れれば、だれにも何も言われなくなるからです。自分で自分の心に火をつけて、日々をよりよくしていこうとする気概がなければ、いくらでも怠慢になれます。しかし、そんな心もちでは決して成功はあり得ません。
社員を雇う経営者であればなおさら「自ら燃える」ことが大切でしょう。自分が燃えるからこそ、社員の心にも火をつけることができるからです。稲盛さんが私淑する松下幸之助さんも「経営者は熱意に関しては誰にも負けないものを持たなくてはならない」と繰り返し説いています。経営者やリーダーにとって、情熱はそれほどに重要なことなのだと思います。
本気を出して生きることに「青臭い」とか「大人気ない」とか批判の目を向ける人もいるかもしれません。しかし先人の言葉に耳を傾ければ、そんな的外れな批判は馬耳東風であるべきということを教えてくれます。「自ら燃えて生きること」これほどまでに尊いことがあるでしょうか。経営者にとって「自分は何に燃えるのか」をよく知っておくことは不可欠だと思います。自分自身の内側にある炎の存在を見つめる時間が大切にしたいという思いを持ちました。
「狂う」ほど強く願う
稲盛さんの著作を読んでいると、たびたび「狂」という言葉が出てきます。熱意の大切さをいっそう強調した1文字です。次のような説明をします。
不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても、目標を達成させる唯一の方法なのです
なぜそこまで「本心からの願い」を強調するのでしょうか。きっと「心に描いたことしか実現しないから」という一点に集約できるのではないかと思います。稲盛さんは人生の成功哲学について多くの本で様々な表現をしていますが、結局は「狂うくらいに願いを心に鮮明に描くこと」が最も大切なことだと私は現時点で理解をしています。
ある経営者の「悔しさに満ちた顔」
私はこれを書きながら、駆け出し記者時代に取材したある60代の経営者を思い出していました。北関東を中心に展開する洋食チェーン店の社長です。北関東のロードサイドに展開する非常に有名なお店で、千葉や埼玉を含めて60店舗を展開しています。
その社長に取材してある記事を書いた後日、会食の席を作っていただきました。栃木の地酒を飲みながら、色々な話を聞きました。その方は若き日はボクサーとして活躍し、その後経営者に転身した経歴をもちます。立ち上げ時に苦労したエピソードや、夢を持つことによって道を切り開いてきたということを、穏やかに明るく語ってくださいました。
しかし、その経営者は一通り話をしたのち、ふと顔を曇らせ、ふと口をつぐみました。どうしたのかと様子を見ていると、そのかたは盃を手にし、口を湿らせた後、私の顔を直視し、こう述べました。
「『北関東一』という夢は小さすぎた。もっと大きな夢を持つべきだった」。
この言葉を語る社長の表情は、悔しさに満ちていました。
20代半ばの駆け出し記者だった私は、わけがわかりませんでした。なぜ社長がそんな話をするのか。北関東では知らない人はいないくらいの有名企業を成功させたのに、どうしてそんなに悔しそうなのかを。
30代半ばになり、経営理念を作る仕事を始め、稲盛さんの言葉に重ね合わせて考えてみた時、おぼろげながらも、いまその思いは少しわかるところがあるように思います。結局「人生は、描いた夢しか実現しない」からだと思います。
私たちは気づかないうちに自分自身を、勝手な枠に抑え込んでいるのではいるのかもしれません。せっかく可能性があるのに、世間にあわせるなどするうちに、どこかで誰かが言っているようなことしか言えなくなっていく人は、私も含めて多いのではないかと思います。
しかし、人生は誰にとっても一度きりです。一人ひとり違う願いを、叶えようとしていくところに人生の尊さがあるのではないでしょうか。夢の持ち方など、学校教育では決して教わりません。友と語り、刺激を受けあい、新しいものに目を見開かされ、挑戦の一歩を踏み出す心を持つことこそ、大切なのではないでしょうか。
「誰の人生もその人が心に描いたとおりのものである。思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのである」
理念浸透は「コンパ」から
理念の浸透に悩む中小企業経営者は多いと思います。稲盛さんはどうしていたのでしょうか。
京セラフィロソフィーという名の手帳や社内報などで目に触れる機会を増やしていました。会社を小さな小グループの採算性にする「アメーバ経営」もまた社員の自発的な働きを促す理念浸透策だと言えると思います。
こうしたことに加えて、稲盛さんは「コンパ」の大切さも語ります。稲盛さんは「コンパ」を「車座になって同じ飯を食い、酒を飲み、語り合う」という意味で使っています。ライブラリーを案内してくださった同社の総務人事本部の方に聞いても、稲盛さんは「本心からの付き合い」を大切にしていたといいます。叱るときはおしぼりを投げつけるほど叱り、祝いごとでは肩を組んでにぎやかに歌っていたそうです。
上下のない畳の床に車座になって酒を飲み交わせば、普段の肩書きは外れ、どんな人でも「一個人」の装いに戻ります。裸の心で語り合う中で、人は少しずつ人のことを知っていくのではないでしょうか。そうした営みを通じて、組織に集う人の心は一つになり、結果として成果をあげる集団に変わっていくのだと思います。
命をかけた戦いが繰り広げられた戦国時代の映画や小説を見ても、戦いの前には車座になって酒を飲み交わす場面を多く見かけます。飲食をともにすることは古くから人の心を合わせ、気力を奮い立たせるために使われてきました。キャンプでも、焚き火を囲んで星空を眺め、酒を飲み交わせば、心は溶け合います。コロナで飲食の機会はしにくくなりましたが、同じ場を共有することは、組織に集う人の心を合わせ、理念の一員であることを実感するために大切なのだと思います。
現代の「西郷隆盛」
稲盛さんは「敬天愛人」という言葉を愛しました。鹿児島の同郷・西郷隆盛の言葉です。西郷隆盛は言わずと知れた明治維新の立役者の一人です。250年以上続いた江戸幕府による封建的な政治を刷新し、明治という新しい時代を切り拓きました。
稲盛さんは、西郷隆盛と時代は違っても成し遂げたこと本質的なところは近いものを感じずにはいられません。1985年に電電公社が民営化されてNTTとなり、電気通信事業への新規参入が可能になっても、誰一人手を挙げるものがいませんでした。あまりに巨大なNTTという旧国営企業に立ち向かうのは、割高な通話料金を引き下げるという大義があるにせよ、巨像にアリが挑むほど不利なものだったでしょう。
しかし、そこで立ち上がったのが京セラであり稲盛さんだったのです。旧幕府に立ち向かったのが西郷隆盛であったように、旧国営企業に立ち向かったのが稲盛さんだったのです。当時のことを次のように語ります。
それならばオレがやってやろうかという思いが、私の中に頭をもたげてきました。ベンチャー企業から身を起こしてきた京セラこそ、そのようなチャレンジにふさわしいのではないかと考えたのです。
稲盛さんは挑戦を決めるまで、国民のためになるのか、世間からよく見られたいというスタンドプレーではないかと、何度も何度も繰り返し自分に問い続けたといいます。「動機善なりや、私心なかりしか」という問いを半年自らにぶつけ「ようやく自分自身の心の中に少しも邪なものはないことを確信」して、DDI(現・KDDI)の設立に踏み切ったのだといいます。
西郷隆盛も大事業をなすために肝心なこととして「私心を挟まないこと」を説いています。あまりに凡人の私には、この境地を想像することすら困難ですが、偉業をなす方は、やはり「考え方」をどんな時にでも磨き続けているのだと思わずにはいられません。少しばかりでも心構えを近づけていきたいと思うばかりです。
大事なことは「なぜこの仕事をしているのか」という問い
今回、稲盛さんの教えを自分なりに考える中で、経営者にとって大切なことは「なぜこの仕事をしているのか」を自分自身に真剣に問い続けることはないかと思いました。深い思いに目覚めた時、経営者の言葉は変わり、社員の心を奮い立たせるものになるのだと思います。自分自身が本気にならない限り、周りの人を動かすことなどできません。独立して仕事を始めた私自身も、なぜこの仕事をしているのか、常に問い続け、関わってくださる方々と共に挑戦を続けていきたいと思います。
<文献は「心を高める、経営を伸ばす」「成功への情熱」(PHP研究所)、「京セラフィロソフィイ」「生き方」(サンマーク出版)を参考にしました>