北海道の日高山脈の山奥で30年以上続いているアイヌ民族のお祭りがあります。毎夏6日間にわたって、アイヌ伝統の踊りや儀式が営まれます。ホームページはなく告知はほとんどされていませんが、国内外から500人以上の人が集まります。今年で34回目となる奇祭「アイヌモシリ」。人里離れた山奥で開かれるこのお祭りをなぜ続けているのでしょう。リーダーとしてこの祭りを率いるアシリ・レラさんに話を聞きました。
目次
先祖とともに6日間過ごす
ーーこの祭りはどのようなものなのでしょうか?
「アイヌ民族の歴史と伝統を語り継ぐ6日間のお祭りです。アイヌが代々大切にしてきた歌や踊りなどの伝統行事をします。初日と最終日には、アイヌの先祖を送り迎えする儀式を開きます。この期間中は火を絶やさず、先祖とともに一緒にすごします。日本のお盆の風習と似たようなものですね。子どもが参加するゲーム大会や運動会、また国内外のさまざまな文化を紹介する催しを開いています」
「なぜ6日間なのかといえば、アイヌは『6』という数字をとても大切にしているからです。私たちは『天・大地・太陽・月・火・水』の6つのカムイ(神)を重要神として尊敬しています。そうした自然は、いくら人間の文明や科学がいくら進んでも絶対につくれませんよね。人間が絶対に勝てないものとして崇めているのです」
ーー「1万年祭」はインパクトがある名前です。なぜ「1万年」なのですか?
「1万3千年前ごろまでは、日本は今の中国大陸と陸でつながっていました。アイヌのルーツでもある縄文人が北から南まで住んでいました。そこから大陸と切り離され、後からきた中国や朝鮮の習慣と融合して日本の文化ができたのです。私たちはアイヌ民族であり、アイヌの血が流れていますが、1万年前をさかのぼれば今の日本列島に暮らしていた人は皆アイヌと同じ血が流れています。もとをたどればルーツは同じなのです。そのことを知ってほしいと思ったためです」
悲惨な歴史の中心地で供養祭
ーーこのお祭りは人里離れた場所で開かれています。どうしてこの場所なのですか?
「殺されたアイヌ民族の供養のためです。ここはアイヌ民族が最後に追いやられた場所なのです。明治時代の初め、北海道を開拓するという名目で、中央から和人(アイヌ以外の日本人)が多くやってきました。私たちアイヌは『遅れた土人』と差別され、鉄道やトンネルの工事に駆り出されました。何もしていないのに『政治犯』としてみなされ、囚人となりこの場所に強制的に連れてこられたのです。そして散々働かされたあげく、殺されていきました。その悲惨な歴史の中心地がここなのです」
「34年前、私はこの付近がアイヌが殺されて埋められたところだと聞きました。霊が浮かばれないだろうと思い、人骨を探しにきたのです。でもその場所がどこかわかりませんでした。近くに住む人に聞くと『土人の墓か?この辺だと聞いたことがあるけどわからない』と冷たい態度を取られます」
「泣きながら草がぼうぼうの荒地を掘って探していると、槐(えんじゅ)の木を見つけました。槐の木は100年腐らないと言われます。それを目印に掘っていると人骨を見つけたのです。この辺り一体で見つかりました。このままじゃ、無念の死んでいった人が浮かばれるはずがないと思いました。そこで、供養祭を立ち上げようと思ったのです。アイヌだけでなく、朝鮮から連行されてきた人もこの地で殺されています。人種関係のない供養祭を開こうと決意したのです」
ーーどれだけの人が犠牲になったのでしょう?
「少なくとも1200人は殺されました。線路の枕木の数だけ死んでいったと言われます。土手の川縁に投げられたり、トンネル工事中に埋められたり、殴り殺されたり、無数の人がひどい殺され方をしました」
「こうした歴史は誰も教えませんよね。学校教育では触れないでしょう。国はこんなことを教えようとしないのです。今の文明は多くの犠牲の上にあるということを忘れてはいけません。自分たちの原点となる歴史を忘れて生きていることはまずいと思ったのです」
亡くなる直前の父からのメッセージ
ーーレラさんはご自身を「活動家」を名乗っています。どうしてなのでしょうか?
「父の影響が大きいですね。父はアイヌ民族であることに誇りをもって勉強に励み、教師を志しました。しかしアイヌのために差別されその夢は叶わず、山奥で炭焼きなどをして生計を立てていました」
「私自身も、中学生の時にいじめに会いました。入学してセーラー服を買ってもらったのですが、坂道で転ばされるいたずらにあい、2ヶ月もたたないうちにボロボロになってしまいました。その服のまま、父が入院していた病院に行きました。その時、父は病気でほとんど声も出ない状態でした。しかし、見舞いを終えて病室から出るとき、後ろから『そのこと(アイヌ差別)から逃げるな』と呼び掛けられたのです。『差別から逃げれば一生逃げる人生になる。向き合っていけ』というメッセージでした。私は父を尊敬していましたので、その言葉を胸に生きていこうと決意しました。差別や偏見と闘う私の人生は、15歳から始まったのです」
「私はいうべきことはきちんといい、話し合うことが大事だと思っています。そのために国とも右翼とも戦ってきました。このお祭りも、批判があることは承知しています。会場の受付に蛇がぶら下げられるといった嫌がらせも多くありました。しかし、私は非暴力で戦い続けます」
ーーこの祭りには、どのような人が集まっているのですか?
「ここに来る人は、普段はみんな仕事をしています。サラリーマンの人もいれば、医者、弁護士もいます。海外からもきています。フランスやオランダ、オーストラリアなど毎年訪ねてくる人もたくさんいます。ある東京大学の先生も来てくれます。おじいさんがアイヌの強制連行に関わったというのです。自分としては、アイヌの人にきちんと謝りたいというのです。毎年、お酒やお団子の粉を届けてくれます。ご自身も来てお祈りを捧げてくれます。人種関係なく、いい人はいい人ですね。アイヌではいい人のことを『シサム』というんですよ。このお祭りは、お金に余裕があってやっているわけではないですから、こうした方の協力はありがたいですね」
自然があってこそ人間の暮らしがある
ーーアイヌは独自の自然観をもっています。どのようなものなのですか?
「アイヌ民族は、まず自然があって初めて自分の暮らしがあると考えています。自然には人間をはるかに超えた力があります。その力のことを『カムイ』と呼びます。大地も、天も、星も、月も、私たち人間が作ったものではないですよね。植物や動物、この木ひとつだってそうです。人智を超えた力が作ったものです。だからこそ、木を切るにしてもきちんとお祈りをしてから切らないといけません」
「同時に、人間と自然の立場は対等なものであるとも考えています。伝統的なアイヌ文化では、アイヌ(人間)の世界であるアイヌモシリと、カムイの世界であるカムイモシリがあります。自然界にあるものは、動物でも植物でもカムイモシリから何らかの目的を持ってアイヌモシリにきた存在と捉えているのです」
「カムイに言葉を届けたいときに、イナウと呼ばれる祭祀具を使います。道具を通してカムイと対話しているのです。人と自然が一体化するというところから祈りが始まっています。このことは自然で暮らしていれば、子供にもわかることです。私たちは原点に立って話をしていると思っています。しかし、今の社会は便利さと豊かさが当たり前になり、この感覚がずれてしまっていると感じています」
「多様な社会」への疑問
ーー国は2019年にアイヌを初めて「先住民族」と正式に位置付けました。アイヌの現状をどう考えていますか?
「私はアイヌについて、まだほとんどのことが知られていないと思います。2020年に白老町にウポポイ(国立アイヌ民族博物館を含む文化施設)ができましたよね。国はその施設を整備することでアイヌ文化を守ったと思っているのかもしれませんが、私は決して納得いっているわけではありません。歴史をきちんと伝えていないからです。強制労働に従事させられ、ひどい差別を受けてきた酷い過去は隠されたままです。踊りや工芸など、アイヌが観光向けの見せものになっているように感じるのです」
アイヌを汚すことは先祖に唾をかけること
ーーお祭りを通して、何を伝えたいと考えていますか?
「歴史的な真実を語り継いでいきたいと思っています。国がこれまでアイヌにやってきたことをきちんと認め、そして謝って欲しいということ。アイヌを差別することは、自分たちの先祖に唾を吐いていることと同じだということをわかってほしいですね。なぜなら、元をたどればアイヌだってアイヌ以外の日本人だって先祖は同じなのですから。ルーツが同じだということがわかれば、争うことなどなくなるのではないでしょうか」
取材を終えて/祭りの根底にある「怒りと優しさ」
「やばいから来た方がいい。世界観変わる」。スマホに入ったキャンパー仲間からの一通のメッセージがこの奇祭を知ったきっかけでした。会場について1日過ごしてみると、ヒッピー祭りのような自由な雰囲気はありながらも、何か強いメッセージ性があることに気づきました。この祭りの根底には何があるのか知りたく、インタビューをお願いしました。
インタビューを通じて、この祭りの根底にあるのは「強者への怒り」だと感じました。アシリレラさんの胸の内には、アイヌ民族がたどってきた歴史が政治によってうやむやにされていることへの深い怒りがありました。国が認定する教科書には決して載らないアイヌの歴史を、きちんと語り継がなければならないという使命感が強く伝わってきました。34年間続けているのは「おかしなものには、おかしいと言う」と言う、活動家としての深い自覚があるからでしょう。
しかし「強者への怒り」だけでは人はついてこないはずです。レラさんから同時に感じたのは「弱者への優しさ」でした。会場にはいわゆる在日朝鮮人の方、インド系の顔つきをしてる方、生まれつき容貌が特徴的な方、学校に行けていない子供など、社会的に弱い立場に置かれている多様な方が集まっていました。レイさんは毎晩22時くらいまでそうした方々のライブを、最後まで椅子に腰掛けて見ていました。慈しむような表情でした。その表情を見ながら「強者への怒り」と「弱者への優しさ」の2つがこの祭りが人を惹きつける吸引力になっているのだと感じました。
「怒りがあるからこそ、優しくなれる」。レラさんの姿を見て私はこのことを学びました。自分は何に対して怒るのか、どうしても許せないことは何か、このことを自覚することが人を惹きつける強く優しいリーダーになるために大切なことなのでしょう。
取材日:2021年8月16日、聞き手は安倍大資