愚直な自分に還る旅〜全国一周1ヶ月目(大阪→新潟編)

私は7月1日からキャンピングカー生活を始めました。九州・大分からフェリーで大阪に入り、そこから日本海に向けて走り出しました。1ヶ月たち、まずは第一ラウンドの目標地である新潟にぶじたどり着けたことに喜びを感じています。

7時間の道のりを30日間で

ここまでのルートをご紹介します。大阪を出発し、京都、滋賀、福井、石川、富山を巡っていきました。途中、奥能登を一周したり、富山では岐阜側に近い五箇山も訪ねました。大阪から新潟までは高速道路を使えば7時間ほどでいけますが、私は30日かかりました。

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(大阪から新潟まで30日間かけて走りました)

好きな仕事しながら全国をめぐる

YouTubeを見れば、日本を一周しているカップルや夫婦、海外の方などの動画がたくさん出てきます。テーマを持って何かをしている人、予期せぬ出会いを楽しんでいる人などなど、さまざまです。

私の旅の特徴はなんでしょうか。大きな違いといえば「好きな仕事をしながら」というところにあると思います。私は今年の3月末まで12年間、新聞記者をしていました。今は記者経験を生かしたコーチング事業と執筆業をしています。

私がコーチングに魅力を感じたことの一つは、場所を問わないことです。新型コロナ流行前はコーチングのやりとりは主に対面だったといいます。しかし、昨年以降もうコーチングの場はほとんどオンラインに移っています。コーチングと執筆ならば、場所を問わないで仕事ができる。そう思い、買ったのがこの箱型の空間が付いているキャピングカーでした。

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(仕事部屋を乗せて走るイメージです)

部屋の高さは175センチ、横幅は200センチあります。軽トラの荷台に仕事部屋が乗っているといえばいいでしょうか。私は「キャピングオフィス」と呼んでいます。

クライアント、7人に

このキャンピングオフィスで、コーチングのセッションをしています。小さなものも合わせれば、7月は10回ほどのセッションの時間がありました。7月にクライアントは3人増えて、今は7人になっています。私の旅に関心を持ってくださり、ご依頼をいただいた方もいます。

箱型の車(バン)で生活することの良いことは、本当に好きなところで仕事をすることができるということです。東京で毎日決まったオフィスと自宅を往復していたときと比べ、信じられないくらいの軽やかさを感じています。

彦根城で九州のクライアントと仕事

例えば、滋賀県では彦根城にいきました。その日は14時からクライアントとのセッションがありました。ちょうど12時に彦根城の駐車場につきました。セッションが始まるまで2時間あるので、彦根城を1時間半ほど見て回りました。そしてセッションの20分前に車に到着。身繕いをしてキャンピングオフィスでパソコンを開いたのが13時50分。余裕をもって九州のクライアントとセッションをしました。

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(キャンピングオフィスの中で仕事をします)

こんな働き方が、これまでできたでしょうか。彦根城の駐車場で、九州のクライアントと仕事ができるのです。行きたいところに行き、好きなものをみて、そして仕事ができる時代であることを実感しています。

コーチングと旅は相性がいい

私自身、コーチとしてはまだまだ駆け出しですが、コーチングと旅は相性がとても良いと感じています。コーチングは、コーチによって色々な考え方があり、ひたすら目標を達成することに力を注ぐタイプもいれば、より人生を豊かにしていくことに着目したスタイルもあります。大まかには、ビジネスコーチとライフコーチという言い方もできるかもしれません。私はどちらかといえば後者にあたり、仕事は人生全体の一部ではあるけれど全てではないというふうに捉えたやりとりを心がけています。

私がコーチとしてクライアントに届けたいものを一言で言うとするならば、それは「自然体」です。心と頭と体がひとつにつながった状態と定義しています。自然体で生きる人は私は魅力に感じます。クライアントの方にも、私のセッションの時には「上司としてこうあるべき」とか「社長としてはこうしなくてはならない」といった肩書きを横に置いて、素の自分に還っていただきたいと思っています。

クライアントと同じ景色見る

どうすれは人は自然体で生きられるのだろうか。私は時々こう考えます。自然体になれる場所、それは自然を感じるところではないかと思います。そのため、私はセッションの時間はなるべく自然を感じられる場所に車を停めます。海が見える駐車スペース、草原と隣り合った道の駅、穏やかな川沿いの河川敷などです。

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(能登半島の千里浜では波音を聞きながら仕事をしました)

セッションの時には自然の風景を、クライアントにまず紹介します。みなさんたいてい、驚いた表情で画面に顔を近づけます。そして、楽しそうな、ワクワクしている顔を見せてくださいます。それが、私にとってはとても嬉しく感じるのです。オンライン越しに、同じ風景をみて、感じてくれている。その自然体の表情に、私自身も自然な心持ちに変わっていきます。

週1本ペースで記事を書く

私はこの旅でひとつ自分に課したことがあります。それは、週に1本新聞記事レベルの記事を書くことです。私は会社員としての新聞記者は卒業しましたが、書くことは好きですので、取材して書くことはライフワークとして続けていきたいと思っています。

私はコーチングで企業や個人の使命、価値観を言語化するサービスを提供しています。使命や価値観というと高尚で近寄りがたく聞こえるかもしれませんが、平たく言えば「何を大事に生きていますか」ということです。大事にしていることは、一人一人違います。誰から教えられるものでもありません。クライアントの内側からその言葉を見つけていくことが、私の生業です。

旅で取材するテーマも使命や価値観に関することにしようと思いました。7月はひとまず4本の記事を執筆し、公開しました。大阪、京都、滋賀、石川、それぞれ現地で取材した内容を記事化しました。以下、リンクをご紹介しますのでご興味ある方はお読みになってみてください。

大阪:松下幸之助が理念を重視した3つの理由

京都:稲盛和夫はなぜ「本心が大切」と説き続けたのか

滋賀:近江商人はなぜ「三方よし」を生んだのか

石川:【経営者インタビュー】バンライフ第一人者・中川生馬さん

旅をしていると多くの景色や人に出会います。新たな学びの連続です。ただそれを繰り返しているだけでは経験は深まりません。経験を少しでも自分のものにしていくためには、一度立ち止まって文章を書いていくことが大切だと感じています。

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(能登半島ではバンライフの第一人者の中川生馬さんを訪ねました)

「何が旅に連れてきたの?」という問い

私は昨夏からコーチをつけています。コーチングを受ける時間は、自分が大切にしていることを深める時間です。このキャンピングカーの購入を決断したのも、コーチングのやりとりで生まれました。

旅中もコーチングを受けています。能登半島にいた7月下旬のセッションで、コーチからこんな質問を投げかけれらました。「あなたを旅に連れてきたのは、なんですか」

私は言葉がすぐに出てきませんでした。「この旅に連れ出したのは、一体何か」。コーチングならではの質問です。20秒くらい考えたでしょうか。口から出てきたのは「過去のコンプレックスです」という一言でした。

心の影を見ようとしなかった20代

私には「心ひかれたことに思い切って挑戦できなかった(しなかった)」という心の影があります。好きだった自然や地理の学びは、大学の志望学部に落ちて以来、あえて捨て去ってきました。「自分が失敗したとは思いたくない」という他人からよく見られるようとする心持ちがあったからです。アウトドア関係の部活も迷った末にやめました。20代を通じて、どこかいつも心に焦りがあり、目の前のことに熱中できず、うわべの笑顔でやり過ごし、そんな自分に違和感を覚え続けてきました。自分自身にどこか不自然なものを感じながら、心が強く揺り動かされることもなく、砂を噛むような日常を過ごしていました。

そうした日々を送り続け、34歳の時、あるちょっとしたことが引き金になり、私はとうとう、ベッドの上で動けなくなりました。うつ状態になったのです。9ヶ月続きました。かろうじで仕事はやりくりしていたものの、週末はベッドの上で一日中過ごしました。適当にスマホをいじっては、目が疲れたらまた眠るという、どこまでも自堕落で、救いようのない時間でした。

なぜ動けなくなったのか。理由ははっきりしています。「自分が何者か、まったくわからなくなった」ためです。こうした経験をお持ちの方はどれくらいいるでしょうか。大げさに聞こえるかもしれませんが、当時の私の感覚は「自分が誰かわからない」というまさにこのことでした。

34歳、東京のど真ん中で遭難

自分が何を大事に生きてきたのか、一体何が好きなのか、何に心惹かれるのか、まったく見当がつかなくなったのです。登山でいえば遭難でしょうか。いまここがどこで、どちらに行っていいかわからず、そもそもなぜここにいるのか、なぜ山登りをしているのか、途方に暮れた状態です。東京のど真ん中で、私は遭難したのです。

遭難中、私は確信的に思ったことがあります。「自分はこのままの人生の延長では決して幸せにはなれない」ことでした。ほぼ死んでしまった心を再び甦らせる唯一の手段が「心が少しでもひかれることをやってみる」ということでした。うつろに生きていた時期で記憶があいまいなところもありますが、私がやったことのひとつは旅に出たことです。土日で伊豆を車で回ったり、千葉南部のローカル線に乗ってみたりしました。そこから思わぬ出会いなどが重なり、すこしずつ自分を取り戻していきました。

いま私が旅に出ているのも、もしかするとその延長上にあるのかもしれません。ただ2年前とは心境の軽やかさはまったく違います。それは自分が何を大切にしたいのか、それを明確に知っているからです。今ではそのうつ状態の9ヶ月に感謝すらしています。なぜなら、どん底をみなければ、自分を徹底的に知ろうとしなかったはずだからです。

ふるえる出会い

私の今回の旅のテーマは「ふるえる出会い」です。心ふるえる自然の景色や人と出会うことです。私の会社の屋号はFULLYELL(フルエール)です。FULL(めいっぱい)YELL(応援する)という、私のコーチ観をあらわしました。加えて「ふるえる」の意味もかけています。心ふるえる時間をクライアントともに作っていきたいという願いを込めました。(屋号の由来についてはこちらの記事で詳しく紹介しています)

フルエール号での1ヶ月の旅で、たくさんの心ふるえる出会いに恵まれました。学生時代にともに船に乗った仲間、高校時代にともに部活で汗を流した友人、記者時代に親切にしてくださった取材先、独立後にお会いした方とのご縁など、書き切れないほどです。

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(ご乗車写真を記念スタンプ入りでプレゼントしています)

人だけでなく、雄大な自然の景色に出会ってきました。琵琶湖の空を赤く染めた夕焼け、波のない北七尾湾の月夜、マッチの火が尽きるように水平線に沈んだ日本海の夕陽など、目にも心にも刻まれています。

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(能登半島の北七尾湾の静謐な月夜にふるえました)

本来の自分に還る

ふるえる出会いを重ねることで、私の内側で変化が起き始めていると感じています。それを言葉にすると「本来の自分に還ること」でしょうか。

もともと自分はどのような生き方を望んでいたのか、それを思い出していくような日々に感じます。

会社員として12年間働き、一社会人としての振る舞いを身につけ、世間体には立派な大人とみなされる36歳になりました。しかし、旅をする中で、会社員として働くうちに、いつの間にか考えることをやめてしまったこともあるのではないかと感じるように思いました。

運転中にたまたま聞いたMr.Childrenの曲が、妙に心に響きました。2020年にリリースされたBrand new planet という曲のサビの一節です。

静かに葬ろうとした 憧れを解放したい
消えかけの可能星を見つけに行こう
何処かでまた迷うだろう でも今なら遅くはない

とりわけ頭の中で反芻しているのが「静かに葬ろうとした 憧れを解放したい」というフレーズです。私たちは大人になるにつれて、地位や所属など社会的に立派になることや、外面を装ったりすることをしがちです。私自身も一時期はまさにそうでした。そうするうちに、素直な心からくる願いはどこかへしまいんでしまいます。このフレーズで言えば「憧れを静かに葬る」ということでしょう。

「いい大人って」どんな大人なのだろう

日本的な「いい大人」とは、上の立場にある人のことをよく聞き、従順で、自分を主張せずに周りに合わせる人というイメージがあります。従順な態度こそ、分別ある大人になった証だとされます。大人になってまで、何かに夢中になるなんて、大人げなく、はしたないとも言われます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。大人になって、何かを強烈に追い求めるのは、大人げないのでしょうか。

「大人なんだから」ということを口癖のようにいう人がいます。そういう人の顔を思い浮かべてください。その人の顔には、どこか物憂げな影はないでしょうか。心からハツラツとした表情を見たことはありますか。その言葉は、現状を変えようとしないその人自身の都合の良い言い訳なのではないでしょうか。その人の外面を守るための、保身のフレーズではないでしょうか。

私はそんなフレーズは一度たりとも使いたくはありません。思慮分別のある36歳、私はあえてここから強烈に自分の人生を追い求めようと思います。どんなに笑われたっていい。だけれど、自分で自分のことを嘲笑することだけは決してしません。

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(富山の宮崎海岸ではヒスイ探しに熱中しました)

愚直に生きる大人の姿

精神的などん底にいた時、私の救いとなった存在が精神科医の泉谷閑示さんでした。すべての著作を読みました。とりわけ印象的だったのが「反教育論」です。学歴偏重思考を鋭く批判し、子供にとって何が良い教育なのかについて述べられた著作です。胸に刻まれている一節が、次の言葉です。

「もし真に子供にとって『良い環境』があるとすれば、それは、子供に自分の人生のツケを回したり夢を託したりせず、愚直に自分自身の生を求めて生きる大人が身近にいるということ。つまり、親とか教師といった役割に閉じ込められたり、それを言い訳にしたりせずに生きる、一人の人間としての大人の存在なのである」
ー泉谷閑示「反教育論」

私たちはもっと一人一人が、愚直に自分の人生を求めていいのではないでしょうか。地球の歴史は46億年だといいます。私たちが生きられるのはせいぜい100年。地球史の前にたてば、ちりにも及ばないのが私たちが世に受けた命の時間です。そんなわずかな時間を、たまたま日本に生まれた私たちが、訳のわからない世間体に押し込められるとするならば、なんともったいないことでしょうか。

「大人だから、そんなことはしないよ」というよくわからない言い訳をして、無気力な心の内をしたり顔で隠すのではなく、「大人だからこそ、めいっぱいチャレンジしているんだ」という、熱烈な大人にあふれた社会の方が、楽しく豊かなのではないでしょうか。

常識をはいでいく時間

ただ、愚直に生きることは簡単ではないことはわかっています。理由は簡単です。「何に対してであれば愚直になれるのか」わからないからです。とりわけ、常識的な分別がすっかり身についてしまった大人にとって、愚直に何かに取り組むことは、見知らぬ人の前で裸になるくらいのはばかりがあるかもしれません。しかし、長年身につけてきたものを疑問に思い、一切脱ぎさってみたいと思う人も少なくないと私は思っています。

コーチングとはそうした人のために僕はあるのではないかと思っています。私はコーチングとは「よくわからない常識」をはいでいく作業なのではないかと思っています。その常識とは、親や教師、マスコミなど世間から与えられたものかもしれませんし、自分自身が長年思い込んでいるものかもしれません。

コーチングとは人を愚直に還す対話

幼い頃、私たちは一日一日を何かに夢中に生きてきたのではないでしょうか。子どもの姿を見ていると、愚直に、ひたむきに、何かに取り組んでいます。そうした姿は、何か神々しくすらあります。コーチングとは「常識をはぎ、愚直に還す」対話ではないかと思います。

東京五輪で活躍する選手の姿を見ていても、選手に共通するのは、どこまでもひたむきな愚直さです。限りなく愚直な姿だからこそ、人の心は揺さぶれるのではないでしょうか。

愚かなまでのひたむきさ

スポーツ選手だけではありません。この旅で出会った先哲もまた、どこまでも愚直でした。モノがない時代に生きた松下幸之助は必要なものをあまねく全国に行き届かせようとする「水道哲学」に極めて愚直でした。京セラの創業者である稲盛和夫も「社員の物心両面の幸福」という理念に愚直そのものでした。伊藤忠の創業者・伊藤忠兵衛に代表される近江商人は「三方よし」という教えを愚直に守り続けました。「幕末最後のサムライ」とも呼ばれた長岡藩主の河井継次郎も忠義を通すことに愚直でした。

私は思います。愚直になれる人は、何を大事にすればいいかわかっている人だということです。愚直に生きられる人は、きっと心の奥深くに静かな揺るがぬものを持っているのではないでしょうか。

茨木のり子さんの「みずうみ」という詩を思い浮かべました。

人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

 第2ラウンド、北海道へ

関西と北陸をめぐった第一ラウンドを終え、第二ラウンドとして8月は北海道を旅します。夏に北海道に来るのは、19歳の夏に3週間ロードバイクで旅して以来です。北海道の壮観な風景に、自転車をこぎながら涙した夏でした。その夏から17年が経ちました。どんなふるえる出会いがあるのでしょう。そして自分がその出会いをどう作っていけるのでしょう。人ばかりではなく、壮大な風景にも浸りたいと思っています。あえて何もしないものいいかもしれません。

私は今、北海道という真っ白なキャンバスに向かう画家のような心境です。北海道のキャンバスに、フルエール号という筆を走らせ、ふるえる時間を描いていきます。

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(小樽港で8月1日撮影)

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