人は自分の物語の中で生きている〜CTI応用コースを終えて

私はコーチングスクールのCo-Active Training Institute(CTI)で昨年8月からトレーニングを受けています。1月15〜17日に応用コース最後となるプログラム「シナジー」を受講しました。人が自分らしく生きていくにはどうあればいいのか、深く学んだ3日間となりました。

守秘義務があるため、プログラムの内容自体は詳しく書けません。3日間を終えて、私自身が個人的に考えたことを深めたいと思い、以下に簡潔に書きたいと思います。

3日間を終え、私自身が思い至っているのは「人は自分自身で意味づけた物語の中で生きている」ということです。物語というのは「人生の脚本」とも言えるでしょう。その脚本がどんなストーリーで、重要人物には誰がいて、大事なシーンはいつなのかということは、自分自身で選べるということです。さらにその物語は何度でも書き直せるということもあわせて感じています。

目次

過去の出来事の意味づけを変える

よく思わぬ病気や事故などをきっかけに人生が変わったという人の話を聞きます。病気や事故自体は生きている以上はできるだけ避けたいものです。アクシデントが起きた時点では「なぜこんなことに」と落ち込んだり悩んだりします。しかし、その後の展開によっては「あの事故があったからこそ今があるんだ」という物語の一節に変えうることもできるのだと思います。

私が以前取材した方で、そうした方がいました。車椅子に乗る30代の不動産会社の経営者でした。その方は大学卒業後、不動産営業をしていた20代半ばの時、ビルから落ちる事故にあい、その後遺症で下半身がまったく動かなくなりました。車椅子生活になり、以前は簡単にできていたことができなくなり「どうして自分がこんなことに」と落ち込んでいたそうです。

しばらく車椅子で生活するようになって、あることに気づきました。それは車ユーザーは小さな段差ですら乗り越えるのに苦労すること、そして役所などの公共施設ですらそうした障害が多いということでした。車椅子ユーザーが外出できる環境が整備されていないということです。そのため、その方はバリアフリーを重視した不動産業に切り替えました。販売する戸建てなどのバリアフリー化はもちろんのこと、公共施設への助言も始めました。すると単に車椅子ユーザーだけでなく、高齢者の方など足腰が弱った方からも感謝されるようになったそうです。「どんな人でも楽しく外出できる社会を」という理念でNPO法人アクセシブル・ラボを立ち上げて、いまでは住みやすい街づくりの提言もしています。

その方には何度も取材させていただき、美しい奥様とともに明るく日常を楽しむ姿に、私は取材が終わった後いつも楽しく清々しい気持ちになっていました。その方のもともとの明るいお人柄もあるかもしれませんが、私が感じていたのは「思いもよらぬ不運があったけれど、それも含めてゆたかな今がある」というメッセージです。もちろん、不運な事故や病気に悩まれているかたは多くいらっしゃると思いますので軽々しくは言えませんが、それでもどんなことがあっても、人生に意味を与えるのは自分自身なのだということを教わっていたように思います。

「なぜ生きる」を知る人の強さ

なぜ人生に自分自身で意味付けることが大切なのでしょうか。私は心理学や哲学に特別詳しいわけではありませんが、きっと人は本質的に「意味を求める」生き物なのだと思います。「なぜ<why>生きるのか知っている人間は、たいていどんなふうに<how>でも生きていける」というニーチェの言葉があるように「なぜ生きる」を知る人は困難にあってもしなやかに生きていけるのではないでしょうか。

自分なりに本をいろいろ読んでいると、ロゴセラピーという「人生の意味」を重視した心理療法があることを知りました。ナチス強制収容所での体験をもとにした「夜と霧」で知られるオーストリアの精神科医のヴィクトール・フランクルが提唱したものです。「ロゴ」とはギリシア語で「意味」で、人生に意味を見出すことで心の病を癒す手法です。

フランクルは「ロゴセラピーのエッセンス」という著作で、人生に意味があると思えることの大切さについて強調しています。

「人がほんとうに必要としているのは、緊張のない状態ではなく、ふさわしい目標、自由意志で選んだ仕事に取り組み、奮闘することです。その人によって実現されることを待っている意味の可能性からの呼びかけです」

「人間の主たる関心は、歓びを得たり苦痛を避けたりすることではなく、むしろ自分の人生に意味を見出すことに向けられている」

「ロゴセラピーのエッセンス」ヴィクトール・フランクル

本屋に行くと自己啓発本があふれかえっています。最近では自己理解など「自分を見つめ直す」系の本が売れていいます。意識的なのかはわかりませんが、現代人は自分の人生の意味を知りたいと渇望しているのかもしれません。しかし、人生の意味は決して他の人から与えられるものではなく、自分自身の人生の中から見出すものでしょう。「生きる意味がわからない」という状態は、自分の生きている物語をどう意味付ければいいかわからないということでもあると思います。物質的に生きること自体に困らない日本を含めた先進社会で自殺が多いのは、それだけ自分ならではの人生の意味づけを見出すことが難しいことの裏返しかもしれません。

他人を追う人生から、私が決める人生に

こういう私自身も、長く悩んできた人間です。社会人になって心療内科にたびたび通い、不安を和らげる安定剤を断続的に飲んできました。そのピークは34歳のときの1年でした。大学以降の自分の人生をことごとく否定したくなる思いにつきまとわされ、週末はベットから起きらられずに、スマホをいじってはまた眠るというほぼ廃人のような生活を送っていました。

CTIのこのプログラムの最終日の課題として、自分の人生を物語にして語るというテーマが与えられました。自分の人生を他者に語ることは、自分自身にとって大きなチャレンジでした。それはやはり、自分自身のこれまでの人生を整理し切れるのだろうかという思いがあったからです。つまり、どういう脚本にしてどういう意味を与えればいいのか、考えたことがなかったからです。

一晩考え、翌朝にも考えて自分なりの物語を作りました。タイトルは「他人の人生でなく、自分の人生を生きることを決めた35歳の青年」でした。改めてこうタイトルを書くと、気恥ずかしい気もしますが、私の偽りのない思いを込めています。

この物語を話す上で、おおやけにすることを最後までためらった人物がいます。

それは3歳年上の兄です。私は恥ずかしいほどに、兄の影響を受けて生きてきた人間でした。

私が東京の大学を選んだのも、そして新聞記者の仕事をしているのも兄の影響です。高校卒業以降の私は、兄の行く道をあたかもなぞるように生きてきました。道だけでなく、性格すらそうなろうということすらしてきました。

兄は幼い頃から多弁で、快活で、周りをにぎやかにするタイプでした。次男として育った私は、どちらかといえば寡黙で、決めたことをコツコツやり、親しい人と仲を深めるタイプでした。「社交的ワイワイ型」兄の存在は、「真面目コツコツ型」の私には、まぶしく見えました。いろいろな経緯がありましたが「兄のようになれば人生はもっと楽しくなるのではないか」と高校3年生くらいから思うようになりました。当初の志望校すら変えて、東京に出ようと思ったのも、先に九州から東京に出ていた兄の進めにそのまま従ったのです。

大学以降の私は、元々の自分を否定し、本気で兄のようになろうという生き方でした。口下手を直そうと思い、大学時代は社交的な国際交流活動を1年休学してまでやっていました。新聞記者になってからも、苦手意識を持ちながらも大人数の飲み会に行き、たくさん喋ろうと思って酒の力を借りようと何杯もあおっては、酔い潰れたことも1度や2度ではありません。

本当は知っていました。「兄の真似をするなんてばかげている」ということを。20代も終わりになったくらいの頃でしょうか、「そもそも兄を追うことなんて、そんなことまったくする必要はなかったのだ」と思い至りました。31歳の時、米国に3ヶ月留学した時に「あなたの職業は」と聞かれて「ジャーナリスト」と名乗るのがとても恥ずかしかったことを覚えています。私にとってジャーナリストとは、兄のことであり、私ではないという思いがしていたのです。私自身の心深くには「兄の二番煎じの人生だ」という思いが付きまとって離れませんでした。

私の長年の悩みは「他人の人生を生きている」という思いでした。34歳の時に廃人同然になったのは、アタマに長年押し殺されてきた私の心が、「いい加減にお前自身で生きろ」とあらん限りの声をあげて気づかせてくれたのだと思っています。

私は今年3月、12年間続けた新聞記者を辞めます。記者としては数多くの経験をさせていただき、希望も叶えていただき、かつ責任あるポジションも担わせていただきました。ありがたいことに慰留の声もかけていただきました。仕事の仲間たちに負担をかけてしまうことも申し訳なく思っています。しかし、私は記者を続けることを断りました。新聞記者のままでいる人生は、私にとって兄を追う人生であり、それではいつまでたっても自分の人生を生きられない、これが私なりに出した切実な結論です。私にとって兄とあえて違う道に行くことが、「私が生きる」人生を作るにあたって避けては通れない決断だと考えているからです

こうしたことをプログラムの仲間に物語風に語りました。聞いていただいた方からは「とても共感した」「決断する勇気をもらった」という言葉をいただきました。胸に響きました。自分のストーリーに共感を持って耳を傾けてくれる聴き手の存在が、どんなにか語り手を心強くさせてくれるものなのかと心打たれました。

一人ひとりの物語に新たな意味を

世の中はコロナの嵐が吹き続け、大きな時代の変化の最中にあります。社会や経済がコロナ前に元通りといったことはないでしょう。働き方や生き方を一人一人が見直す転機にきているのだと思います。どこかの誰かが答えを知ってるのか言えば、それはないと思います。外部環境の情報収集をした上で、何が自分にとっての最善の道なのか、答えを出すのは自分自身なのだと思います。こうした時代だからこそ、「答えは自分の中にある」ということを前提とするコーチングは、今の時代に求められているのではないかと思います。

コーチング市場は2019年時点で300億円といわれ、4年間で6倍に増えています。このコロナを機に、コーチングを求める人はさらに増えるのでしょう。国際コーチング連盟の日本支部が今年5月に始めた無償コーチングサービスは短期間が200人以上の申し込みがあったそうです。コーチングが時代に求められているものの1つであることを物語っていると思います。

私自身、コーチングに昨年出会ったことで人生の物語が書き変わりました。新たな意味も生まれつつあります。これからは私自身もこれまでの記者経験を生かしたコーチングを届けることで、その方の物語を見つめ直すような仕事ができるといいなと思っています。一人一人の人生の中に新たな意味が生まれた時、きっと人生を再創造するような歓びが生まれるでしょう。私はそうした心の声を呼び覚ます立会人になりたいという思いがしています。

CTIのプログラムを通じて出会ったコーチの仲間のみなさまに感謝します。これからの学びの旅もご一緒できることを楽しみにしています。

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