記者目線で感じるコーチングの対話のふしぎ

私は新聞記者を12年続けてきました。記者は、なにかを取材をしてそれを記事にするのが仕事です。

今年4月、私は初めてコーチという職業を知りました。私がコーチに興味を持った理由は、コーチの対話を「ふしぎだ」と思ったからです。記者とコーチが、一見極めて似ているようで、実はまったく違うもののように感じたのです。でもそれがなんなのか、言葉にできませんでした。

コーチングのトレーニングを始めて半年が経ちます。コーチとしての経験を積んだり、また自分がクライアントになったりする中で、その「ふしぎ」が少しずつ言葉にできるようになりました。今回は現時点での私の考えを書いてみたいと思います。大事な人との対話について考えるきっかけに少しでもなればと思っています。

目次

1対1の対話は同じ

記者は取材をして、コーチはコーチングをするのが仕事です。その「取材」と「コーチング」、まったく同じところが1つあります。

それは1対1の対話が原則だということです。取材では記者会見のように複数の記者が1人の取材先に質問したり、逆に1人の記者が複数の取材先と向かい合ったりする時もあります。しかし、基本は1対1と考えていいと思います。当事者に直接話を聞くことが何よりも大事だからです。この原則はコーチングも同じです。

また、対話をすることも同じです。向かい合って言葉を交わします。一対一での対話を一見しただけでは、取材とコーチングは見分けがつかないでしょう。私も実際、インターネットで初めてコーチングの動画を見つけて2人の人が向かい合う場面を見たとき、「取材と何が違うんだろう」と思いました。わずかな違いで気づいたのは、コーチがノートを手にしていなかったことくらいです。記者の場合は、基本的に取材内容を書きつけるノートを持ち歩きます。その程度の違いしか見当たりませんでした。

対話の中身は似て非なるもの

取材とコーチングは見かけ上は酷似していますが、いざ対話が始まれば、似て非なるものだということがわかってきます。そもそも、コーチングの場合、対話のテーマ自体をその場で決めることが多いです。私は初めての動画で、コーチがクライアントに「さて、今日は何の話から始めましょうか」という切り出すのを見て、耳を疑うほど驚きました。取材では、話すテーマはアポイントを入れる時点で先方に伝えているからです。

取材の場合は、テーマだけでなく詳細な質問を事前に伝えておくことも多いです。特に、企業や官庁といったカタい取材先はそれを求めてきます、なぜかといえば、事前に先方が答えを用意しておくためです。都合の悪い質問があれば、論点をずらした回答を用意することが大事なのです。そして自分たちが宣伝したいことを伝えられるように答えを準備しておきます。

そのため、実際の取材で事前に決まったようなやりとりに終始しがちです。もちろん、記者は事前に用意した質問以外もすることで、深い答えを得られないかどうか、対話しながら探ります。しかし、大枠を外れることはなかなかありません。聞かれる側にとって都合の悪いところはだいたい煙に巻かれて、うやむやで終わります。

コーチングの場合は、テーマも決まっていない上、話がどういう展開になるかすら対話の前にはわかりません。そのため、答えを事前に用意することはできません。対話に答えがあるかどうか、それが取材とコーチングの一つの大きな違いだろうと思います。

取材とコーチングの違いについて、次のような表で整理しました。これはどこの本に載っているわけではなく、私自身がこれまでの経験をもとに考えたものです。

やはり取材とコーチングは、見かけ上の1対1の対話という姿は同じでも、やりとり自体は大きく異なるものだと感じます。コーチングの経験をより積んでいくことで、より詳しく見えてきそうです。

たき火コーチングでの対話

この違いについて考えたくなったのは、コーチング仲間とたき火をしたことがきっかけです。先月末、奥多摩のキャンプ場で5人とたき火を囲みました。私はアウトドアが好きで、仲間たちと自然を感じる場を作りたいなと思い企画しました。秋晴れの空の下、日中の半日ほどたき火にあたりながら昼ごはんを作ったり、お酒を飲んだりして楽しい時間を過ごしました。

コーチ仲間ということもあり、自然にコーチングのような対話が始まりました。私は、その対話がとてもふしぎなものだと感じました。一人ひとりの内面的な話がごく自然に出てきたからです。胸の内に長年抱えているコンプレックスや仕事の迷い、人との付き合い方の悩みなどの話題です。テーマとしてはどちらかと言えば重めとも言えるかもしれません。しかし、その対話は何の違和感もなく、ごく自然に滑らかにそれぞれの口から出てきているようでした。

その対話は、会社の会議室では決して交わされることのないものでした。街中のカフェでのおしゃべりとも違います。これまであまり経験したことのない対話の展開でした。

私なりに感じたのは、内省的な対話は、場所によってやりとりが大きく変わるのではないかということです。

たき火を囲んだキャンプ場は、清流のせせらぎが絶えることなく響いていました。木々は秋の装いで赤や黄に彩られていました。都心の高層ビル群から抜け出た私たちは、川と山が織り成す開放的な空気の中にいました。こうした自然の風景が、その対話を生み出したように感じます。穏やかな川や風の流れのように、放たれた言葉は誰かの心を揺らしながら、また流れていきました。

こうした対話は、取材では考えにくいことです。事実関係が大事な取材では、場所によって語られる内容が変わっては困るからです。例えばある災害を取材する時に、それがいつ起きたか、どこで起きたか、被害はどれだけかといったことが、語られる場所によって変わってしまえば記事にはできないでしょう。

しかし、コーチングでの対話は自由です。ただ一つのルールは、本当に思っていることを言うことです。沈黙も歓迎です。偽ったりごまかしたりするくらいなら、言葉に出さないことが大切なのです。コーチ問いかけ自体も、何を問うてもいいし、クライアントもどう答えてもいい。コーチングは生ものの対話で、同じ軌道を描くことは決してないのだと思います。たき火を囲みながら、私はコーチングの対話は場所によって大きく変わるのではないかという思いを持ちました。

着想の湧く森

こう書きながら、ひとつ思い出したことがあります。最近、メンタルヘルスなどの分野で、森林セラピーや森林療法という言葉をときどき耳にするようになりました。今年の初め、森を人の健康に活用する活動をしている、小野なぎささんの話を聞きにいきました。

印象的だったのが、森を気づきの場に使うという話です。例えば、企業ビジョンを練り直したいと考える経営者や、新たなビジネスを立ち上げたいと考える起業家、また第一線のデザイナーなどが、森の中で数日間過ごしたいという依頼が増えているそうです。森に入り、木々の形を見ながら歩いたり、木々の形を見ながら歩いたり、大木の下で寝っ転がったりして、新たな着想を得るという効果を期待しているそうです。

自然の空間に身を置き、人間に備わっている五感を取り戻すことで、普段の考えの枠から飛び出す。森は新たな考えを生み出したり、大切なものを思い出したりする場になるのではないかと思いました。

それはまさにコーチングの役目と重なるようにも思います。普段私たちは、何を大切に生きていきたいのか、何を本当は望んでいるのかといったことに、なかなか意識を向けることはありません。そうしたことを考えずとも、日常は過ぎていくからです。しかし、自分が本当に望む人生を生きる上では、欠かせない問いだろうと思います。大切なことを考える時、自然はきっと私たちの助けになってくれるのではないでしょうか。木々の色づき、川のせせらぎ、穏やかな木漏れ日が、私たちの心の奥に眠る思いを呼び覚ましてくれるのではないでしょうか。薪のはぜる音を聞きながらたき火を囲む対話、そこには豊かで深い時の流れがあるように感じます。

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