自分を知ることが、自分の人生を生きるなによりの基盤になる。そう思い至った7ヶ月半でした。
私は自己理解の専門家の八木仁平さんが主催する「自己理解プログラム」を3月中旬から受講していました。10月末をもち、このプログラムを卒業することに決めました。7ヶ月半の間、現時点でこれ以上できないというほど自分自身を洗いざらいに見つめ直し、徹底して掘り下げました。そして今の時点で最善と思える価値観とビジョンを打ち立てることができました。自分を深く知るということが、他のどんなことにもまして、自分自身を強くするものだということを確信しています。
目次
納得できる人生の答えは、自分の内側にしかない
このプログラムを通じて私が学んだことは、納得できる人生を生きる原動力は、自分の内側にしかないということです。何を大事にして生きれば充実感に満ちた人生を送れるのか、その答えは自分以外の外から与えられるものでは決してありません。一人ひとり異なる正解を、自分自身の内側から見出すこと以外にないということを悟りました。
私たちは普段、自分以外の外側からの承認によって、人生の成功度合いを確かめるようなところがあります。例えば年収がいくらか、所属している組織が有名かどうか、職業が立派か、出身大学は、資格は、家族構成や血縁は、などといったことです。世間がなんとなく価値を置いているものが自分に当てはまればいい人生を送っていて、そうでなければいまいちな人生だといった認識を持ちがちです。例えばマスコミに出てくる有名人のほとんどはそうした外見的なきらびやかを売りにして、私たちにそうしたイメージを植え付けます。
しかし、人が本当に自分の人生を生きるとは、そうした表面的な成功を追い求めるのとはまったく異なるものだと知りました。自己理解プログラムを通じて私が感じたのは、学校教育やマスコミなどが日々教え込む「正しさ」というのが、私たちをいかにゆがめているのかということです。軽薄な正解や幸せの形を押し付けて、一人ひとりが感じたり考えたりする力を奪うものではないかという思いがしています。このプログラムで学んだ7ヶ月半は、既存の社会が垂れ流して自分の内側にこびりついた「当たり前」という名の大量の垢をそぎ落とし、まっさらな自分になって当たり前ではない私自身の中にある価値観を一つずつ確かめていったかけがえのない時間でした。
人生のどん底でワラをもつかむ思い
私はこのプログラムに出会う前、人生のどん底期でした。昨年5月に起きたある出来事をきっかけに精神的に崩れ、進む方向を見失い、生き方に悩み、自分が一体何をしたいのか全くわからなくなりました。大学以降の人生を全て否定したくなる思いが頭を占めました。何をする意欲もわかず、週末はひたすらベットに横たわり惰眠をむさぼり続け、たまに起きてはスマホをいじってまた眠るという、どこまでも堕落した生活を半年以上続けてきました。頭の中では鈍い不協和音がけたたましく鳴り続けていました。
そんな時、インターネットを通じてこのプログラムを知りました。うたい文句は「3ヶ月でやりたいこと探しを終える」。そんなことができるわけないと思いました。社会人になってから10年以上、私は自分自身に違和感を感じ続け、本当はどんなことがしたいのか悩み考え続けてきたからです。しかし、このプログラムを率いる八木仁平さんは、整然とかつ自信にあふれた口ぶりで、それをどう見つけるのか何本もの動画で語り続けています。自分自身ではもう八方塞がりの状態でした。溺れるものはワラをもすがるの思いで、3月14日にこのプログラムの受講を決めました。
思いはただ1つでした。3ヶ月後の6月、私は35歳の誕生日を迎えます。30代の折り返しを迎えるまでに、それ以降の人生でやることを決めるということです。違和感を覚え続けてきたこれまでの人生の延長上に、自分の幸せはないことだけははっきりしていたからです。新たな人生をひらく一本の道を見つけ出したいという思いでした。
3つの輪が重なる「本当にやりたいこと」
八木さんが説く本当にやりたいことの見つけ方は、とても明快です。大事にしていること(価値観)、好きなこと、得意なことの3つを掛け合わせたものを「本当にやりたいこと」と定義付けています。私がこのプログラムに最も惹かれた理由の一つは「価値観」を重視しているということです。社会人を10年やると、好きなことや得意なことはある程度わかってきます。しかし私は長年、本当は何を大事に生きていきたいのかということがよくわかりませんでした。その時々でわかったつもりになるのですが、揺らぎ続けていました。精神的などん底を経験したことで、自分の価値観が戦場の焼け跡のように一度振り出しに戻ったような状態だったこともあり、なおさら価値観を明らかにしたいという思いがありました。
世の中には「好きなことを仕事にしよう」や「得意なことだけやればいい」といったフレーズが溢れかえっています。それは魅力的な響きで一面的には正しいかもしれませんが、表層的な感は否めません。自分自身が何を大事にしているかわかっているからこそ、好きなことも得意なことも活きてくるというこのプログラムのメッセージに膝を打ちました。
このプログラムの特徴は、名前の通りとにかく自己理解を徹底していることです。10つのステップを階段を登るように一つずつ取り組んでいきます。1ステップにつき自分と向き合う質問が多いものだと40,50くらいあります。それぞれのステップは早いものでも数日間、中には数週間かかるものもあります。「ありたい自分の姿はすでに過去の行動に表れている」というコンセプトは一貫していて、過去の自分を深掘りすることで、自分の大事にしていることを解き明かしていく手順です。私ははじめの3ヶ月間、仕事以外の時間のほぼ全てをこのプログラムに注ぎ込みました。
見出した5つの価値観
自分がもっとも興味のあった価値観は、幼少期から社会人生活をこと細かに振り返り、探し出しました。親や学生時代の友人にも当時の自分について聞いて回りました。そうするうちに、私の価値観の一つに、自力で何かやりたがろうとする面があることに気づきました。これは母親との話が印象的でした。
母親によると私は幼いころの口癖が「ぶんで」だったそうです。たとえば家族で外に出かけようと玄関で靴を履く時、母親が履かせようとすると「ぶんで」と言っていたそうです。服を着る時にも同じ言葉を言っていたそうです。「ぶんで」とは幼くて話しも十分にできない私が、懸命に言おうとしていた「じぶんで」という主張でした。自分自身でできそうなことは、自分でやってみるんだという強い思いがあったのだと思います。
この「ぶんで」やりたがる性格は過去も今も一貫しています。たとえば私は自転車に乗るのが大好きです。高校生の時は家のすぐそばを高校へと続く路線バスが走っているのにもかかわらず、雨の日も自転車で通っていました。バスに乗ったのは3年間で数回しかなかったと思います。今でも職場には自転車でよくいきます。都心のアップダウンのある道のりを30分ほどかけて走ります。自転車は自分でコースを選べ、ペダルをこぐスピードも選べます。そうした自分でやる感覚は、バスや地下鉄に身を預けては決して味わえないものです。自分でやるからこそ得られる達成感や清々しさが好きなのだろうと思います。
私はこの「ぶんで」やりたがる性格に、私は「独立」という言葉をつけて価値観の一つとしました。社会自身になってから、いずれ独立して仕事をしていきたいと思っていたこともあります。
「独立」も含め、5つの価値観を見出しました。それぞれの価値観は自分自身で定義付けをしています。
自然(ありのままの自然の美しさ。人の内側からの輝き)
安らぎ(心の落ち着き。気の置けない人との関わり)
独立(自分のことは自分で決めて生きていくこと)
進歩(上達したり理解を深めたりすること。人との関係を深めること)
集中(一意専心の状態)
下の価値観が土台にあって、上の価値観を満たしていくという考えです。この5つの価値観は何度も見直し、順番を入れ替えました。現時点でどれも納得いくものです。価値観をはっきりさせて以来、日々の選択の明確な基準となりました。迷うことが大幅に少なくなり、心が乱れることも著しく減ったと感じています。
ストレングスファインダーで得意なことを学ぶ
得意なことと不得意なことも見つめ直しました。自分の強みを明らかにするストレングスファインダー(SF)を徹底して学びました。SF自体は昨夏に受けていたのですが、自分の資質をどう活かすかはよくわかっていませんでした。
私のトップ10資質は次の通りです。
①最上志向 ②内省 ③未来志向 ④学習欲 ⑤個別化
⑥親密性 ⑦目標志向 ⑧規律性 ⑨自己確信 ⑩自我
この資質をもとに、過去の出来事や普段の行動を振り返り、どのように強みが発揮されているのかを考えました。
例えば、私は人と話をするときに、その人の強みやユニークさに自然に惹かれるところがあります。その人らしさを感じるととても嬉しいですし、その人らしさをもっと生かすにはどうすればいいんだろうと考えます。こうした考えの癖は、SFの上位資質に照らし合わせると、「最上志向」と「個別化」によるものだろうと思います。最上志向は、強みやユニークさを磨くことに精を出す資質で、個別化というのは人の違いに目がいく資質です。
振り返ってみると、高校生の時にこの資質をフルに生かした経験がありました。高校生の時に私は応援団で活動していました。応援団は学ランをきて激しく動き回る運動部的な要素が強いのですが、一方で文化祭でコメディー劇をするといった文化部的な要素もあります。高校3年生の時の文化祭で、パロディー劇をすることになり、私が率いることになりました。私は学校の科目で地理だけが大好きで、テレビ番組で「世界ふしぎ発見」を毎週欠かさず見ていました。そこで番組名をもじって「世界ふしぎ“発覚”」という劇をしようと思い立ち、脚本を書き、団員一人ひとりの配役を考えました。ノリが良くて場の雰囲気に合わせられるタイプ、まじめ風で手堅くまとめられるタイプ、シュールな役柄で存在感を出せるタイプなど、8人ほどのメンバーの特徴を考えて割り当てました。この劇は当日、数百人の客を集めて会場中を笑わせ、喝采を得ました。これは自分の資質をフルに生かせたからだと思い当たりました。
一方で、大学生の時はいかに自分が弱みを補うような活動をしていたかも痛感しました。SFには34資質あり、上位資質もあれば当然下位資質もあります。私は社交性や調和性が最下位ランクです。それなのに、大学時代はひたすら社交性や同調性を求められる活動ばかりをしていました。ある人の影響を受けて、浅くても広い交友関係をもつことが、自分の人生を楽しくするものだと思い込もうとしていたためです。懸命に努力して社交性を身につけようとしていました。
しかし結果として、それはまったくうまくいきませんでした。楽しくもありませんでした。弱みを補おうとしても、その分野が得意な人には決してかなわないことを知りました。
一方で、私は大勢の飲み会などが苦手な代わりに、少人数でじっくり話をすることは好きです。それは親密性や個別化が働いているということに気づきました。
こうして自己理解を深める10つのステップを一つずつ進めていくうちに、これまでとは違う新たな自分が立ち上がっていくような感覚が湧き上がってきました。自己理解はバラバラに砕けたガラスの破片を、新たな形に組み合わせていくような作業のように感じました。新たに組みあがった私は、見かけこそ変わらないもの内部の構造が大きく変わったような思いがしています。
コーチという職業との出会い
このプログラムで自分にとって決定的に重要だった対話があります。4月26日の八木さんとの話でした。このプログラムでは数回、八木さんと自己理解の進捗について話し合う機会があります。
当時私はビジョンを描きながら、そのための実現手段を考えている時でした。私自身の中で見出した「自然」という価値観をもとに、人に「自然体」を届けるような仕事に取り組んでいきたいと思い始めていました。それをどうすればいいか、考えを巡らせていました。
当初、私は登山ガイドや地理ライターといったことを考えていました。しかし、どうもしっくりきませんでした。登山ガイドはお客さんを山の中に案内する仕事です。客を飽きさせない話術やエンターティメント性も必要とします。これまでの経験から、私がそうしたことに向いているとは思えませんでした。また地理ライターとして専門的に活動するのも、私は気象予報士の資格自体はありますが、地理に関する幅広く深い知識は、残念ながら持ち合わせていません。こうしたことから、ややいき詰まっていました。
こうした思いを持ちながら八木さんと話をしていると、何のきっかけだったかは忘れましたが、ふと八木さんから「すけさん、コーチングって知っていますか」と聞かれました。私はまったく知りませんでした。中学生まで野球に没頭していたので、スポーツのコーチかなと思った程度です。しかし、その会話が妙に気になりました。面談の後、インターネットで検索してコーチングの動画を見てみました。
その動画は私にとって大きな衝撃でした。あるプロコーチがクライアントと一対一で向かい合っていました。その場面を見て記者を12年やってきた私は、「取材と同じだな」と思いました。しかし、問いかけがまったく異なっていたのです。そのコーチは軽い雑談の後「さて、きょうは何から話しましょうか」と聞きます。耳を疑いました。記者は取材先に聞きたいことがあるから取材するわけで、そんなことを聞くはずがないからです。仮に聞いたとしたら「聞きたいことないなら帰れ」と一蹴されるでしょう。そして対話が始まり、コーチは話の途中でクライアントに「だんだんとすっきりした表情になってきていますね。どんな気持ちの変化があったのですか」ということを聞きます。訳がわかりませんでした。取材のやりとりでそうしたことを聞けば「この記者はおかしいぞ」と不信感を抱かれるでしょう。
コーチングの第一印象は、「ふしぎな対話」でした。ただ、私はそのふしぎな対話に心惹かれるものを感じました。話し終えたクライアントの表情が話す前とは異なり、晴れやかなものに変化していたからです。記者として「聞く」ことにはできないことが、コーチとして「聴く」ことにできるのではないかと感じました。そして、自分が長らく望んでいた人との関わりは、こうしたものなのではないかと思いました。私の心の深くで何かが静かに動き出すのを感じました。
ふしぎな対話の秘密を知ろうと、私はコーチングを学び始めることを決め、今夏からCTI(Co-Active Training Institute)というコーチングスクールで学んでいます。学べば学ぶほど、この対話に惹かれるようになりました。来春、私は記者からプロコーチに転身する予定です。自己理解プログラムがなければ、私はコーチングに出会っていなかったでしょう。このプログラムがもたらしてくれた予期せぬ出会いに感謝しています。
「自分らしく生きたい」という願い
このプログラムを通じて、私は多くの方と出会いました。受講者の中心層は20代ですが、30代、40代の方も少なくありません。年代関係なく、共通しているのは「自分を活かして、自分らしい人生を生きていきたい」という切実な願いです。様々なワークを通じて、お互いの悩みや生き方について語り合いました。
プログラムを通じて、人生を大きく変えて生きる人の姿をいくつも見ました。会社員から歌手に踏み出した人、それまでと異なるコンセプトで仕事を始めた人、自分の強みを生かした副業を始めた人などです。いずれも、プログラムを通じて見出した価値観やビジョンをもとに、新たな人生を生き始めている人たちです。こうした仲間たちの姿に、私は何度となく心を動かされました。自分の内なる声に従って生きようとする姿に、生きるということの尊さを学びました。限りある人生をめいいっぱい生きることを決めて動き出した人には、神々しさすら感じました。悩みながらも自分の軸を定めようとする仲間の姿に、何度も胸を打たれました。
私はこう思います。きっと誰もがそうした人生を、心の奥深くで望んでいるのだろうと。しかし、社会が与えるお仕着せを身にまとい、誰が敷いたかもわからないレールに沿って生きていくうちに、自分自身が本当は何を望み、どう生きたいのかわからなくなるのだと思います。そんなことは、いつの間にか気にすら留めなくなっていくのでしょう。私自身の経験からもそんなふうに思います。
しかし、世界を揺らす新型コロナの影響で、社会は大きく変わっている最中にあります。会社員であれば、1年前にはほとんどの人が経験したことのなかった在宅勤務が日常の風景になりました。Zoomなどを使いネット上で顔を見ながら話をすることが当たり前になってきています。私たちは、場所や時間を問わず自由な生き方ができるということを知ってしまいました。これを機に、生き方を大きく変えようとしている人も、きっと多いのではないかと思います。
生き方を変える上で、やはり何よりも大事なことは、自分自身をまず知ることだと思います。日本のような同調圧力の強い国にいると、自分を押し殺して、周りに合わせて生きることでよしとしている人が多数派なのだと思います。しかし、周りに合わせているうちは、決して自分自身はわかりません。内なる声に耳をすませ、自分自身が本当は何を望んでいるのか知ることが欠かせないと思います。お仕着せではない自分自身の価値観を掘り起こし、それに沿って行動することで、一人ひとりが本当に望む一度きりの人生を築いていけるのではないでしょうか。
世間体の人を自然体で生きる人に変える
私がプログラムを通じて見出したことを図表にすると、次のようになります。
大事にしていることは自然体です。これには取り繕わずに、ありのままの自分でいるという思いを込めています。好きなことは人と深く話をすることと、文章を書くこと。そして得意なことは強みを磨くことです。この3つの円が重なるところが、現時点で私の本当のやりたいことだと定めました。
私のビジョンは「対話と文章で一人ひとりの強みを磨き、世間体の人を自然体で生きる人に変える」です。試行錯誤して行き着いたものです。今後多少の修正はあるかもしれませんが、大きく変わることはないだろうと思います。
自分自身の内側から出てきた思いでビジョンを作り上げられたことに、大きな歓びを感じています。ビジョンを立ち上げたことにより、私の人生はこれに向かって生きていけばいい思いになり、人生がシンプルになったような思いがします。困難も数多くあると思いますが、自分の軸を持って生きる人生だからこそ生きがいもまた大きいのだと信じます。
自己啓発の古典的名著「7つの習慣」の中で、私が好きな考えがあります。私たちは自分にとって都合の良い人生の脚本の中で生きているということです。私たちはついつい、他者から与えられた正しそうな脚本に沿って生きていきがちです。しかし、何か人生の大きな困難に直面した時、脚本がもはや通用しないと思い知らされます。その時に、人は人生の脚本を自ら書き直す作業が始まるのだということです。著者は自ら書き直した脚本によって生き直すことを「パラダイムシフト」と読んでいます。
私たちは他者から与えられた多くの脚本に従って生活しているから、それらの脚本を「書き直す」よりもむしろ「書き起こす」プロセスが必要であり、あるいはすでに持っている基本のパラダイムの一部を根本的に変える、つまりパラダイムシフトしなければならないのだ。自分の内面にあるパラダイムは不正確だ、あるいは不完全だと気づき、今持っている脚本に効果がないことがわかれば、自分から主体的に書き直すことができるのだ。
「7つの習慣」スティーブン・R・コヴィー
私にとって、7ヶ月半の自己理解プログラムは、自分自身の人生の脚本を、新たに書き起こす作業でした。3月中旬に出会った時、それまでの脚本ではもう生きていけないという状態でした。人生のどん底だったからこそ、自分自身を根底から見つめ直すしかないという覚悟ができたのだと思います。結果として、出会う前には予期せぬ脚本を書き起こすことができ、パラダイムシフトへの道に入り込めたのではないかと思います。今では、そのどん底期に感謝したい思いすらしています。
このプログラムに残り続けることはできます。しかし、見出したビジョン実現のために、私は新たな一歩を踏み出すことに決めました。自己理解プログラムという仲間のいる暖かな巣から立っていく若鳥のような思いです。怖さもあります。しかし、思い切って大きな空へと羽ばたいていこうと思います。
最後になりましたが、このプログラムを率いてくださっている八木さん、kiriさん、なるさん、そしてここで出会った自己理解の仲間たちに深く感謝をします。本当にありがとうございました。
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