【京都芸術大学大学院の記録⑥】デザイン思考のプロセスによる地域研究とは〜試行錯誤の修士2年目

京都芸術大学での社会人大学院生活も後半の2年目に入りました。学際デザイン研究領域に籍を置く私たちは、デザイン思考のプロセスを修得しながら、新たな価値の創造や歴史ある対象を今にいかす研究活動に取り組んでいます。

大学院最後の1年で取り組むことは、1チーム5、6人による修了研究です。「新しい価値を創造する」早川克美先生のゼミと、「歴史ある対象を今にいかす」野村朋弘先生のゼミの2つに分かれます。大きなテーマに違いはありますが、デザイン思考のプロセスをベースにしながら、創造的に問題解決を図り、価値の可視化をめざすことは共通しています。

私は「歴史ある対象を今にいかす」ゼミの方を選びました。こちらは実質的には、地域研究のゼミです。最初の3ヶ月は、思った以上に試行錯誤し、悩みながら進んだ時間でした。チームで研究する難しさも体感しました。まだまだ現在進行中ですが、修士2年目の最初の記録として書いてみたいと思います。

目次

修士1年目でぶつかった課題

私はこの大学院の志望理由書に「森を対話と芸術の場に変え、社会に新たな価値を生み出したい」と書きました。

「森と対話」を研究テーマにしたいと思った理由は、私自身が30代前半まで精神的な悩みを抱え続けてきたためです。メンタル面での調子の波が大きく「不安障害」とも診断され「自分自身が誰かわからない」ことに悩み続けてきました。

不器用に悩みがちだった私を救ってくれたのが「森を歩くこと」と「心ある聴き手との出会い」でした。精神的どん底で、生きていることに意味を感じられず、悩み明け暮れていた私を最底辺で持ち堪えさせてくれ、立ち直るきっかけを与えてくれたこの2つを組み合わせて、同じように悩む人の救いとなる新たな価値を生み出したいという思いで志願しました。この思いは、入学当初からまったく変わっていません。

昨秋からその研究の具体的なチャレンジが始まりました。修士1年目で取り組んだ、人生100年時代の「ライフシフト」をテーマとした演習で、私たちのチームは「歳を重ねるごとに『自分らしくなる』にはどんな選択をすればいいか」という問いを立て、新しい内省の場を作ることに取り組みました。内省は一人だけでなく他者との対話によって深まるのではという仮説のもと「内省と対話の内的な旅」をコンセプトとしたリトリートの原型を作りました。私たちのチームはそれを「リデザインの旅」と名づけました。

いくつもの偶然と幸運が重なり、1月に京都の京北で実証試験を兼ねたプロトタイプツアーを実施しました。関東からの参加者も含めて6人に実際に体験していただきました。同時期に関わっていた環境省のプログラムでも代表チームに選んでいただき、東京でプレゼンの機会もいただく幸運を得ました。

修士1年目のチーム研究は東京での発表の機会をいただいた(2023年2月)

教授陣や有識者の方から1月後半から2月にかけて真摯なフィードバックをいただきました。複数のコメントで頂いたのは「既視感がある」「独自性が薄い」という指摘です。時代の変化が大きくなる中、自分自身を見つめ直すリトリートはいま多くの試みがなされています。「森の中での内省や対話」というコンセプトは確かに、すでにいくつかの事業者が取り組んでいます。1年目後期の限られた5ヶ月で取り組んだことは、私たちなりの最大限のチャレンジではありましたが、既存の域をまだ出られていないことが、大きな課題として残りました。

悩みに悩んだゼミ選択

「どうすると既視感を脱し、今の時代に本当に必要とされる新しいリトリートができるのだろう」。1年目で作った「リデザインの旅」は、私がこの大学院に入って取り組みたいと考えていたど真ん中のものだっただけに、「既視感がある」という指摘は大きな課題として突き刺さっていました。課題を乗り越えるために何が重要なのか考えた時、思い当たったのは「ひとつの地域を徹底して深ぼる」ことでした。

「地域」は私の中で、ずっと関心のあるテーマでした。私自身、北九州・小倉の地方出身です。新聞記者時代に3年間、宇都宮支局に赴任して栃木県中を取材で走り回りました。独立してからはキャンピングカーで日本一周の旅に出て、46都道府県を7ヶ月かけて巡りました。

地域研究のゼミを選んだのは、キャンピングカーで日本一周した経験が大きい(2021年10月)

キャンピングカーの旅を通じて感じたことがあります。訪ねてみたくなる地域は、歴史や文化などをもとにした独自のコンセプトがあるということです。地域には固有の文化や歴史があり、それをいかすことこそが本当の独自性になるのではないかと思うようになりました。

46都道府県を旅して知った「コンセプトの力」〜時代超えて人を動かすもの

ゼミ選択は期限の3月20日の最終日まで悩みました。私がこの大学院に惹かれた理由は、領域長の早川克美先生の存在が大きくありました。早川先生のゼミで迷いはなかったのですが、だんだんと地域研究にも魅力を感じるようにもなりました。直前まで迷った末、何人かのメンバーから「一緒にできたらいいね」という声が上がりました。この大学院での大きなテーマは「共創」です。ともに学び合い、共創していきたいと思えるメンバーと一緒になれる可能性の高さが、地域研究のゼミを選んだ最後の決め手でした。

試行錯誤の3ヶ月

地域研究のゼミが始まり、最初の3ヶ月は試行錯誤でした。このゼミでは最終成果物として「地域の風土記」をチームで作ることを目指します。まずは研究拠点となる地域を決めるところから始まりました。

同じチームになった5人の関心の共通点は「自然(nature)への興味」でした。「海」をテーマにしたいメンバー、「山や森」に関心のあるメンバー、地域の文化財に興味のあるメンバーがいたことから、海と山があり固有の文化がある地域を選ぼうということになり、能登、男鹿、八戸、苫小牧、熱海の国内5都市を比較しました。アクセスの良さや人とのつながりの有無なども考慮に入れて、1ヶ月間話し合いを重ね、私たちのチームは4月末、熱海を選びました。

「地域の歴史ある対象を今にいかす」研究を進めるにあたり、デザイン思考のフレームワークを活用していきます。「観察・共感・洞察」→「問題定義」→「創造・視覚化」→「プロトタイプ」→「実証・改善」の5つのプロセスを基本に進めます。地域研究をするにあたってまず私たちは、地域の「観察」から始めました。

デザイン思考のフレームワークを活用して研究を進める

ただ「観察」といってもどう観察するのか、私にはよくわかりませんでした。5人メンバーの中に、行政官として地域調査のプロの方がいました。その方の話をベースにしながら5人で話し合い、「自然」「歴史」「社会状況」の3つの観点から徹底的に掘り下げていくことにしました。

熱海の調査が始まり、一つの地域を知ることは、決して簡単なことではないと痛感するようになりました。関連する本を少し読みかじっただけで理解できるほど「地域」は単純なものではありません。実際に、序盤の私のリサーチは浅く「それではまだダメだと思います」とメンバーから嗜められることもありました。一つの出来事がなぜ起きたのか、それがその後どんな影響を与えたのかといった「文脈」が大事なことを知りました。

芸大院でなぜ歴史を学んでいるのか

私はこれまで歴史に興味はあっても、苦手意識がありました。どうしても中学高校時代の歴史年表の暗記といったイメージが、30代になっても付き纏っていたからです。熱海について調べ始めた5月ごろ、なぜ芸大院に入ったのに歴史研究をしているのだろうと、自分がやっていることがよくわからなくなることもありました。

ただ地域研究を通じて、歴史について日々考えているうち、歴史は単なる記号でも年号でもなく、先人がいきた証であると思うようになりました。その時代時代にいきたかけがえのない営みが、時間を経て「歴史」と認識されるようになるのでしょう。歴史を愛することは、人を愛することと同じではないかと思うようになりました。

私自身「愛すること」は30代後半のいま、大きなテーマでもあります。私は30代前半まで、人と深く付き合うことを避けてきました。人のことが本当は怖かったからだと思います。だけれど、34歳の時に生き方に迷い、うつ状態の9ヶ月を過ごしたことをきっかけに、私は初めて人は人によって生かされていることを骨身を持って知りました。私の声に真剣に耳を傾けてくれ、私の心を丸ごと愛してくれる人がいたからこそ、私は救われました。

歴史を学ぶことの本質な意味は「人を愛すること」であり、同時に「人の可能性を信じること」ではないかと思います。このことはどんな学問にももしかすると共通することなのかもしれません。芸術大学の大学院で、地域の歴史と向き合うことになるとは思いませんでしたが、「愛する力」を養う機会を得ているように感じます。

チームで見出した「交流」

私たちは熱海の研究を掘り下げていくにあたり「交流」を着眼点にしました。火山地形にある熱海は三方を急峻な山に囲まれて相模湾に面する自然環境のもと、温泉を中核の資源として古来から人が暮らしを営んできた場所です。そして一つの地域に閉じこもることなく、内外のさまざまな交流によって発展してきた独自の文化があります。江戸時代には各地の大名が湯治に訪れ、明治以降は政府関係者の保養地となり、昭和にかけて日本随一の温泉観光地として栄えてきました。バブル崩壊後、それまでの大人数のパッケージ旅行が時代にそぐわなくなり衰退してきましたが、この10年ほどの間で民間の活力を原動力として再生への道へ向かっています。

同時に、観光客は戻りつつあるものの、地域の人口減が続き、産業の担い手が不足している問題など、交流に関する多くの課題にも直面しています。そうした課題に対して、熱海の文化資産に着目しながら、より良い方向を見出し、提示していくことが私たちの研究です。

5月と6月、それぞれ5日間ほど、熱海へフィールドワークへ行きました。それまで熱海は「海の歓楽街」というイメージが強くありましたが、そればかりでなく森のフィールドもとても豊かであると感じました。「熱海の森に新しい風を」というコンセプトで活動されるNPO法人キコリーズの方や、市の関係の方などにお話をお聞きし、森をテーマにして研究を進めていくことを考えています。

研究チームの仲間と熱海をめぐった(23年5月)

京都・京北への移住

38歳の誕生日の6月4日、私は一つの決断をしました。京都・京北地域への移住です。京北には大学院の活動をきっかけに昨年から関わりを持ち始めました。

なぜこの地域を選んだかといえば、ここにしかない森があるからです。「伏条台杉」(ふくじょうだいすぎ)という森は、平安遷都から明治維新までの約1100年間皇室の御料地として、人と自然とが関わり合って生まれた独自の景観があります。京都府の自然環境保全地域に指定されているこの森を、友人を連れてガイド同伴で4回歩きました。

ただこの地域は高齢化が著しく、地域の存続自体が危ぶまれています。このかけがえのない森を体感する機会が、地域がなくなることで途絶えてしまうことは、大きな損失だと感じました。

「歴史ある対象」の本質的価値を捉え、デザイン思考を通じて現代に生かす力を大学院で養っているのであれば、この地で生かしていきたいと思うようになりました。環境分野や循環型社会といったことが世界的に大きなテーマとなる中、日本の里山文化が残る京北の地は、今の時代に大きなメッセージを投げかけうる地域ではないかと感じています。

大学院生活はあっという間に残り9ヶ月。修了はまだ先のようでいて、すぐそこのようにも思います。ここからどんな景色が見えてくるのか、まだわかりません。かけがえのない仲間とともに、めいっぱいのチャレンジを続けていきたいと思います。

新拠点は築約100年の古民家です(京都・京北)
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