会社を辞めて「問い」を探した6ヶ月【京都芸術大学大学院の記録②】

大学院

京都芸術大学大学院の芸術環境専攻(MFA課程)に入り半年になりました。大学院序盤のこの6ヶ月間は、これまで知らなかった芸術やデザインの世界に飛び込みながら、自分自身の課題と向き合う時間だったと感じています。以下、この半年で見えてきた自分なりの気づきや課題を書きながら、会社員をやめて芸大に飛び込んだ日々を率直にお伝えしたいと思います。

自分なりの 「問い」を探す

大学院最初のこの半年は、自分なりの「問い」を見つけるための一歩を踏み出した時間でした。「問い」とは自分なりの社会に対する着眼点であり、そこに自分の世界への入り口があると思いました。

大学院に入りそうそうの4月、ファシリテーションの研究者である東京大学の安斎勇樹先生の話を聞きました。「問いとは人の創造性を引き出すもの。とらわれを揺さぶり、こだわりを深掘りするもの」という話が大学院に入りたての私に印象深く刻まれました。

昨年3月まで12年間新聞記者として働き「問い」を投げかける仕事をしてきたのにも関わらず、「問い」について真剣に考えたことがなかった自分を恥じました。同時に「問いをもち、世の中に投げかけること」には現状を変えていく大きな力があると感じました。

私たち日本で教育を受けた人にとっては、当たり前のように「正しい答えを見つけること」に目が向きがちです。正解のある問いに対し「正しい答え」を出せる人ほど評価され、いわゆる「いい大学」に入りそして「いい会社」に入れます。

しかしパンデミック広がりなどによって世界的な不確実性が高まり続けている今の時代、どの分野においても「正しい答え」はないのではないでしょうか。大切なことは、自分なりの観点で世界と向き合い続けることなのでしょう。自分の問いを持つこととは、他の誰でもない裸の自分で世界と向き合うことなのだと思いました。

記者生活に感じた3つの疑問

こういう私自身、どこかにありそうな「正解」を求める人間でした。なんとなく世間的に正しそうなことを基準にし、自分が「成功のレール」に乗っていると信じ、東京での会社員生活を12年間送りました。そのため私にとって「問い」を探すこととは、これまでの自分自身と向き合う時間でもありました。

これまでの自分自身を振り返る中で、記者時代にたびたび感じていた疑問がだんだんと明確になっていきました。次の3つを繰り返し考えてきたように思います。

① 日本の「常識」は本当に人を幸せにし、社会をゆたかにしているのか。
② 大企業や大組織で働くことが、本当に「人生の成功者」なのか。
③ マスコミは誰に向けて報じているのか。


こうした疑問が、自分が新聞記者からコーチとして独立した根底にあります。ただ、こうした疑問はまだまだ明確な問いにはなっておらず、次の半年でも考えを深めていくことが課題になりそうです。

プロセスあっての結果

大学院に入り痛感したことのもう一つはプロセスの大切さです。この半年の重要な評価基準の一つは「プロセスをきちんとたどっているか」にありました。最終的な結論が良くても、そのプロセスが明示されていなかったり、雑である場合は評価が高まりませんでした。

これは専攻している「デザイン思考」が、プロセスを重視する考え方であることが背景にあるからかもしれません。「デザイン思考」や「アート思考」といった考え方は、MBA偏重主義に代わる一種の流行りのようにも捉えられている面があるようですが、先生方が強調するのは価値を生み出すための「普遍的なプロセスである」ということです。

私自身まだできておらず反省も多いのですが、デザイン思考は「観察すること」から始まります。そこから自分なりの「問い」を見つけて「創造・視覚化」をし「プロトタイプ」を作るといった一連の流れがあります。

この半年間で基礎的な考えを学ぶにつれて、デザイン思考は次のように捉えられるのかもしれないと考えています。

新しい価値は、限られた天才的な人のひらめきによって生まれるのでなく、誰もが生み出しうるということです。再現性のあるプロセスを身につけることで、誰もが新たな視点や価値を世の中に提示できるのではと思います。デザイン思考はそのための手段なのではないかというのが、今の私の捉え方です。

「作りたい世界」の一歩目を実現

私自身、この大学院に入学した一番の動機はコーチングとアウトドアを組み合わせた新しい場を作りたいと考えたからです。会社員時代、悩むことが多くその時に救われたのが山歩きなどのアウトドアとコーチングでした。これらを組み合わせて、かつての私と同じように行き詰まりを感じている方に「自然体になれる場」を届けたいと考えています。

この半年の大きな課題の一つに、自分の作りたい世界を明らかにするワークがありました。入学当初に考えていたことをより深める機会になりました。「世間体の人を自然体に変えるコーチングキャンプ」というコンセプトが見えてきました。

とても幸運だったのは、さっそくこの構想の一歩目を実現することができたことです。あるアウトドア関連の企業にご依頼をいただき、9月末に北アルプスの立山で1泊2日のコーチング研修をさせていただきました。大学院で仲間とともに学び合ったからこその結果です。課題はまだたくさんありますが、継続的に実現にしていくために一歩ずつ進んでいきたいという思いを新たにしました。

芸術は「人をいきいきさせるもの」

この半年は「芸術」について考える時間でもありました。この大学院に入るまで絵や映画や写真を見たり、音楽を聴いたりするのは人並み程度に好きでも「そもそも芸術とは何か」について真正面から考えたことはありませんでした。

芸術に関する課題書籍を読み、仲間と対話し、レポートと向き合う中で少しずつ考えを深めてきました。そこでわかってきたのは、現在「芸術」とされているものは「美術」とほとんんど意味合いが変わらなくなってきていることです。絵画や彫刻といった表現の技法を私たちは「美術」と捉えて、それを「芸術」だと思いがちです。しかし芸術の本来の意味はそうした狭い意味に限定されないものだと知りました。

半年間仲間とともに学び合う中で、芸術とは「人が生きる意味を感じ、いきいきとできる環境をつくる行為」がその本質にあると考えるようになりました。

京都芸術大学には数多くの芸術関係の学科があり、絵画や彫刻、染色、陶芸といった古典的なものだけにとどまらず、映画やファッション、マンガといった現代的なものまであります。私はキャンパスによく通うのですが、印象的なのは学生たちがとてもイキイキとしていることです。東京の一般的な大学で学部時代を過ごした私から見ると「楽しそうに何かに熱中している学生が多いな」という印象があります。

芸術とは何かについて知りたく、この半年はアーティストのライブや絵画展にも機会があるごとに足を運びました。そこでも共通するのはアーティスト自身が極めていきいきしていることです。躍動するアーティストの存在が、会場の雰囲気を作り、観客に伝播していく光景を幾度となく見ました。

テキストでの理解以上に、芸術環境を身近に感じていると、芸術とは人をいきいきとさせるものだという実感を強く持つようになりました。

「いきいき」に関心のある理由

なぜいきいきしていることに関心があるのか。それを考えたときに、思い浮かぶのは父の姿です。

私の父は大学卒業後、23歳から65歳まで43年間ひとつの会社を勤め上げました。正直に言えば、私は会社員時代の父を好きではありませんでした。会社に出かける時も会社から帰ってくる時も生気を感じられず、いつも疲れた様子でした。「おはよう」という呼びかけにも、応えたくないくらいでした。父からは「生活のために働く」ということは伝わってきても「日々生きがいを感じている」という姿にはほど遠いものでした。

定年後、父は生家のある大分で農家に転身しました。その姿は、会社員時代の父とはまるで別人です。朝から晩まで畑に出ては、荒れた地を開墾し、帰省するたびに畑は大きくなっています。いつの頃からか「あべファーム」と名付けて、季節に応じた野菜を作り、母とともに毎朝収穫と梱包をして、道の駅や農協に卸しています。農家とは栽培計画から出荷までをデザインする芸術家のようにも映ります。父は今年70歳になりましたが、いま一番輝いています。

父の姿が教えてくれるのは、何か生きる意味を見いだせる仕事を見つけた時、人は大きく変われるということです。私が会社を辞めてコーチに転身する勇気を持てたのは、父の姿も大きな要因でした。

話が少し飛びましたが、生きる意味を見出し人をいきいきとさせるものが芸術なのだとしたら今世の中に一番必要なのはまさに芸術なのではないでしょうか。

米ギャラップ社の社員意識調査によれば、日本企業における「熱意ある社員」の割合はわずか6%で、調査を実施した139カ国の中で最低レベルの132位です。およそ9割の人は自分の仕事に「意味」や「やりがい」を見出せていません。著述家の山口周さんは「いまいちばん希少な経営資源は、働くためのモチベーション」だと喝破します。日本でMFAが注目されるようになったのは、行き詰まった社会背景がひとつの要因なのだと思います。

大学院修了時に、見える景色とは

大学院最初の6ヶ月は可能性の広がりを感じながらも、自分が至らないところも思い知った時間でもありました。前期のレポートの一つで私は厳しい講評を受けました。

しかし大人になって真正面から叱咤を受けることは大変ありがたいことだと思っています。一度鼻をへし折られた時からが勝負です。

6ヶ月を過ごして感じるのは、大学院とは自分なりの「問い」を探す旅ではないかと思います。これは推測ですが、大学院を修了するときに、見つかるのは「答え」ではなく「自分なりの問い」だろうと思います。人生を貫く「問い」を見つけることが、大学院時代の最重要なことなのではないかと思います。

大学院1年目の後半からは、学び合いが本格化します。この大学院の特徴であるグループワークが始まります。チャレンジングな苦しい場面も増えてくると思いますが、仲間とともに乗り越えて、新しい景色へ向かってきたいと思います。

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