10月8〜10日の3日間、山梨の山あいで自然とともに生きる知恵を学ぶアウトドア研修に参加しました。東京や京都など都市部から集まった20人ほどとともに、南アルプスの山々に囲まれた里山の古民家に泊まり「ネイティブ・アメリカンの教え」をテーマに実践的に学び合いました。
私は1年半前、東京での新聞記者生活を辞めると同時に、大学入学以来17年間拠点としてきた東京を離れました。「自然を感じる暮らしがしたい」という思いからです。今回参加したのは、自然環境が人の心理面に与える影響や、アウトドア技術について学ぼうと思ったことがきっかけです。しかし、この3日間を通じて得られたことは、単なる知識や技術にとどまりませんでした。自然そのものへの考え方や私自身の生き方についても深く揺さぶられた時間となりました。
この研修を通じて個人的に感じた3つのことについて書いてみたいと思います。
目次
① 深い喜びは「結果」ではなく「プロセス」の中にある
この研修は北米の先住民・ネイティブアメリカンの自然とともに生きる知恵を実践を通じて学ぶ内容でした。「ネイティブ・アメリカンの教え」と最初に聞いた時、私は率直に言えばあまりピンときていませんでした。いろいろな偶然が重なりこの研修を受けることになり、京都から山梨への道のり約400kmを車で向かう最中、この3日間をあまりイメージできず「楽しみ半分、不安半分」という気持ちでした。
しかし実際に米国の大学や自然環境団体で長く自然を学び、実際の先住民を深く関わりをもち続けている実践者と3日間行動をともにする中で、やはり自然と深く関わるからこそ生まれる知恵があることを実感してきました。
第一に実感したことは、人の深い喜びは結果にあるのではなく、プロセスの中にあるということです。
古民家の改修や自然農法を誇らしく語る表情
この研修の拠点は山梨県北杜市武川にある築100年ほどの古民家が拠点でした。このプログラムを主催するNPO法人アースマンシップが2015年に買い取ったものだそうです。買い取った時には壁は崩れ至るところが痛んでいましたが、自分たちで竹小舞を組んで土壁を塗ったり、屋根の裏に新しい空間を作ったりして、現在は風格ある古民家となっています。
またこの古民家の庭では自然農法に取り組んでおり、実際の作業も手伝わせてもらいました。自然農法は「土を耕さない、農薬を使わない、虫や動物を敵としない」という三原則があるそうです。畑にはトマトや唐辛子、大豆や瓜、芋類など数十種類の野菜がいきいきと育っていました。
こうした一連の作業について、実践者たちがいずれも生き生きと誇らしく語る表情が印象的でした。彼らの表情からは、自分たちで何かを生み出しながら生きている誇りが感じられました。
都市の家であれば改修業者にお金を出して依頼すればリフォームは完了します。野菜も便利なスーパーに行けば事足ります。もちろん家がきれいになったり、見た目がきれいな野菜が手に入ったりすれば嬉しいでしょう。しかし、そうした消費主体の生活に味気なさを感じる人もいるのではないでしょうか。都会暮らしをしていた私もそうでした。
都会生活への違和感の声
このプログラムの参加者は都市出身者が多く、彼らになぜこの研修に興味をもったのか尋ねました。「自分が食べているものがどこからきているかわからないことに不安を感じた」「消費を繰り返す生活に違和感を覚えている」「コンクリートに囲まれ季節を感じない生活に疑問を感じた」といった声が聞かれました。
もちろん都市生活には多くの利点もあるでしょう。私自身も30代半ばまでの17年間の東京生活でたくさんの学びや出会いがありました。「東京一極集中」は批判されることも多いですが、都市に人口が一極集中するのは日本に特別限った課題ではありません。
しかし、彼らの話を聞いているうちに、便利で効率的な都市生活は、人から深い喜びや楽しさを奪っているのではないかという思いを抱くようになりました。現代に生きる私たちは「すぐに結果が出る」といったものに飛びつきがちですが、そうした都会的なインスタントな快感とは異なる、静かで手応えある充実が自然の暮らしの土台にあるように思います。
現代の日本人の特徴に「自己肯定感の低さ」があります。その原因は多くの社会背景があると思いますが、効率や便利を第一の価値観としてきた経済社会も関わっているでしょう。自然の中で生きる人の姿を見ていると、人が自信や誇りをもてるのは単に結果が出るからなのではなく、結果に至るまでのプロセスを大事にしているからこそなのだと思いました。
もちろん自然とともに暮らすことがすべて素晴らしいというわけではないでしょう。しかし「真に豊かであることはどういうことか」という問いを彼らの姿から投げかけられた思いがしました。
②人と自然は別ものではなく、人の中にも自然がある
この研修では自然とともに生きる知恵に加えて、自らの身体感覚に意識を向ける内容が多く取り入れられていました。心身を自然な状態に導く呼吸法や、動物の自然な歩き方を取り入れた歩行法などについて学びました。
その一つとして学んだことは、自覚的に視野を広げる「ワイド・アングル・ビジョン」という視覚の使い方です。
普段私たちは目の前のことにどうしても意識や目線を集中しがちです。忙しい毎日を送っていると、それは仕方のないことかもしれません。しかし、そうした日々が続くともの考え方も段々と狭まり、凝り固まっていくように思います。学術的にはこうした視野を「トンネル・ビジョン」ともいうそうで、思考の幅が狭くなる状態に陥ります。
それとは対照的に、広く見渡す視点として「ワイドアングルビジョン」という考えがあると知りました。これは野生生物が自然の中で生きる時のものの見方だそうで、ネイティブアメリカンなど自然の中で生きる人が自覚的に大切にしているものの見方なのだと言います。
この研修で繰り返し説かれたことの一つが「感覚をひらく」ことの大切さです。自分自身に意識を向けて、自分が感じていることに自覚的になることで、これまで気づかなかったことに気づけるようになったり、見えなかったものが見えてきたりするのでしょう。
感覚をひらき、自分とつながる
人間性心理学の重要な拠点として知られる米国のエサレン研究所で、ボディワークを修得した方も講師のひとりでした。その方がエサレン研究所で学んだこととして「人の体の中に自然がある」という考えがあると聞きました。人と自然とは別物なのではなく、自分自身の内側にもまた力強い自然があり、その自然の力を引き出すのがボディワークであるのだといいます。
私はこの考えをとても興味深く聞きました。思い出していたのは頭と心と体が一つにつながることの大切さを説く精神科医の泉谷閑示さん話です。
泉谷さんは心を崩した現代人の特徴に「内なる自然と離れてしまっていること」を指摘します。アタマが考える「こうあるべき」という考えが、心や体を支配してしまっていることを問題視します。アタマ優先で生きていると、心と体が自由に動けずにどこかで行き詰まってしまいます。
人間は本来、頭と心と身体がひとつになることで、自然とつながると語ります。右側の図がそのイメージです。身体は本来、自然とつながっていることを指しています。これはまさに「人の体の中に自然がある」という考えと重なります。
私は34歳の時に一時期、精神状態を崩し、その精神的どん底を抜け出すひとつの手がかりをくれたのが、泉谷さんの著作でした。人が心身健やかに生きるためには自然とつながることは欠かせないことだと、改めて再認識しました。
③自然は人が関わることでより自然らしくなる
もうひとつ大きな気づきとなったのは、自然と人との関わりについてです。私はこれまで「自然」は人の手が全く入らない自然状態こそ、最も自然が自然らしくなると思っていました。人が関わらず放っておくことが好ましいという考えをもっていました。
しかしこれは私自身の経験の浅さからくる「思い込み」だったことに気付かされました。それはこれまでの当たり前だったことがひっくり返されるほどの衝撃がありました。
光と水と空気の循環
研修では人が手入れをしている森と、そうではない森を見せてもらいました。放っておいている森は、低木が生い茂り、暗く鬱蒼としています。それとは対照的に、人の手で下草を刈って選伐している森は、光が差し込み明るく、風も通っています。同じ森でも、手入れをするのとしないのとでは、ずいぶん印象が異なることにまず驚きました。
このプログラムを主催するNPO法人アースマンシップの代表の岡田淳さんによると、森を手入れする時には、地形や植生などの特徴を観察し、それを生かすことが大切なのだと言います。特に重要なことは、光と水と空気の循環なのだそうです。
人が手入れをした森は循環が生まれ、それによって動物も集まりやすくなるといいます。この森で2時間ソロタイムを過ごす経験をしました。光の差し込む明るい森でひとり静かに過ごしていると、鳥がさえずりながら周りを飛び始めました。風に揺られる葉っぱもなんだか心地よさげに感じられます。人の関わりによって、森の力が呼び覚まされているように感じました。
自然の巡りを呼び覚ます
水の巡りを回復させる取り組みもしました。水が流れていない沢へ行き、沢沿いに積もった落ち葉や小枝などをひとつひとつ取り除いていきます。
30分くらい沢沿いを丁寧に手入れをしました。するとその枯れていた沢の岩の下から、すこしずつ水が流れてきました。自然の力が再び動き出したような情景でした。その流れをしばらく眺めていると、数センチほどのサワガニがどこからかやってきて、その水の中で身を浸していました。人が疲れた体を癒すために温泉に入るように、カニも気持ちよさそうにゆっくりと浸っているように見えました。
もし水の流れが戻らなければ、生き物が沢の水に集まることはなかったでしょう。その場面が象徴的に、人の手によって自然が元の力を取り戻すことを示しているように感じられました。
米国ではこうした自然の力を再び引き出す人を「ケアテイカー(Nature Caretaker)」と呼ぶそうです。ケアテイカーとは自然の巡りを呼び覚ます人なのだと思いました。
人の手が加わることで自然がより自然らしくなることに、私は目を身ひらかされた思いがしました。同時に「ケアテイカー」という考え方とその役割をとても興味深く感じました。
コーチとケアテイカーの共通点
私がケアテイカーの役割に興味を引かれたのは、私が仕事としているコーチングと重なると思ったためです。
コーチの仕事も「人のありのままを生かす」ことが基盤にあります。私自身もそうだったのですが、仕事や人生に行き詰まりを感じている方は、どこか不自然なものや「引っかかり」を抱え込んでいる場合が多いと感じます。対話を通じてその存在に気づき、新しい解釈が生まれたとき、人は大きく変わります。コーチングの仕事を通じてそうした場面を多く見てきました。それはその人の中で「自然なめぐり」が生まれた時でもあるように思います。
コーチ(特にライフコーチング)とは、人の自然な姿を呼び覚ます仕事なのではと思います。人が関わることで自然がより自然らしくなるように、コーチという人間が関わることで、その人がよりその人らしくなることが、私たちコーチに求められている本質的な役割なのではないかと思いました。
自然とつながることで自分を取り戻す
この3日間は自分の自然に対する見方が揺さぶられ、生き方や仕事への考えが深まる時間でした。
この研修を通じて私の中で新しい問いが生まれました。都市生活に疲れた現代人が、自然とつながることで、自分を取り戻すことができないか。ということです。
いま在籍している大学院で「自然環境と人」を大きな研究テーマにしています。対話とアウトドアを組み合わせた新しいリトリートキャンプを生み出したいと考えています。私自身がそうだったように、都市での生活の中で、精神的に余裕なく過ごしている人がたくさんいると思います。そうした方に、自然の中で自分自身とつながり、新しい道を見つけていく時間を届けていきたいと思っています。仲間とともにそうした場を作っていきたいと思います。
すばらしい3日間を企画していただいたNPO法人アースマンシップの皆様に、深く感謝いたします。
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