独立半年、3つの「失敗」から学んだこと

会社員から独立し、10月でちょうど半年となりました。私は12年勤めた新聞記者を3月末に辞めて、コーチング業で起業しました。この半年、税務署への開業届の提出、社会保険の切り替え、仕事用の銀行口座の開設、事業用HPの立ち上げ、クライアントとの契約書の締結など、生まれて初めてやることばかりでした。

もがき明け暮れた半年でした。会社を離れ、自分で仕事を始めることの難しさを実体験として味わいました。

サービス開始、2ヶ月遅れ

まず事業の立ち上げにつまずきました。記者経験を活かしたコーチングサービスで仕事をすることは昨秋に決めており、商品となる独自のプログラムを4月初めに投入する予定でした。しかし、結果的に投入したのは6月と2ヶ月遅れました。

その原因は「ニーズがよくわからないものを作った」ことにあります。「理念が伝わらないリーダーの悩みを解決する」という内容で作っていたのですが、作っているうちにだんだんと自分の思いが前面に出ていき「会社員の独立を促す」といった方向に変わっていきました。プログラム作りに力を貸していただいているコンサルタントの方から「相手の課題を解決するより、あなたが主張したいことが強すぎる」という指摘を受け、我に返りました。

ビジネスを始める上では、相手が何に悩み、何を必要としているのかをしっかりつかむことが欠かせないでしょう。ニーズがあるからこそ売れるというのは、ビジネスを始める上での基本のキです。自分のビジネス感覚のぬるさが痛いほどに身に染みました。振り出しに戻って、とぼとぼプログラムを作り直すことになったのが、私の独立初月でした。

初セールス、緊張で発信ボタンが押せない

プログラムを作り直し6月に販売を始めました。すると次の困難にぶつかりました。セールスです。

ものを作っても、売れなければ仕方ありません。私はセールス経験は、まるっきりゼロ。強いて言えば、大学生の時、当時住んでいたオンボロ学生寮のお祭りで、勢いに任せて焼きおにぎりを作って150円で1個売ったことくらいです。

プログラムに関心をもっていただいたある経営者の方と、電話で契約の話をすることになりました。決まった時間に、こちらから電話をかけることにしていました。地元の北九州のスターバックスの席に座り、その時間になるのを待ちました。しかし、緊張して発信ボタンが押せません。

記者時代には、経営者の方に直接取材のアポを入れることは幾度となく経験してきました。慣れているはずの電話なのにかけられない。コーヒーを飲み直し、トイレにもいき、呼吸を整えました。傍目から見れば、私はスタバの席に座っているだけなのに、内心はまるで戦国武将が生死をかけた戦いに臨む前のように張り詰めています。「取材」と「セールス」が違うことに気づき、胸が締め付けられる思いがしました。

その後、セールスのプロの方からの密着トレーニングを3ヶ月ほど受け、少しずつ慣れていくしかありませんでした。

初の体験セミナーは応募者ゼロ

苦難は続きます。プログラムの受講者がなかなか思うように増えません。そのため、よりプログラムを知ってもらおうと思い立ち、体験セミナーを初めて開くことにしました。実際に、理念を言葉にするとはどういうことなのか、知っていただくことを目的にしました。

1時間ほどの内容を考え、スライド資料を準備し、事前アンケートフォームを作りました。準備万端で、SNSやHPでいざ発信しました。さあ、どれくらい応募があるのかなとワクワクした気持ちで待ちました。

ところが、1日経っても3日経っても、まったく反応がありません。かねてから自分の独立を応援してくださったいる方がリンクをシェアしてくれるなど、大変ありがたいご協力もいただきました。それでも、応募者は結果的にゼロ。野球でいえば、意気込んでバッターボックスに入ったのに、一回もバットを振ることなく三球三振で引き上げるような惨めな思いがしました。

お客様に関心をもってもらうことの難しさが痛いほど染みました。この苦い「ゼロ」から、マーケティングの大切さを身をもって知ることになりました。

めげていない理由

こうした3つの痛い経験をはじめとし、この半年間は試行錯誤の連続でした。かつての自分ならうまくいかないことがあれば、すぐに落ち込んでクサクサしていたと思います。ですが、ふしぎなことに気持ちが沈み込むことはありませんでした。

それはどうしてなのか、自分なりに考えてみると、自分のことがわかっているという安心感ではないかと思うのです。

自分自身、今から2年前の秋、精神的な暗闇をさまよっていました。うつ状態で、週末はベッドの上でスマホをいじってはまた眠るという、どこまでも怠惰な生活を送っていました。怠惰のどん底に足がついた時「1から自分を見直すしかない」と思い、ワラをもすがる気持ちで、あるプログラムを受講し、自分が人生で大事にしたいことを徹底的に見つめました。3ヶ月かけてこれ以上できないというほど自分の価値観を徹底的に深掘りし、言葉にしました。これによって人生を立て直すことができたと思っています。

想いを言葉にすることで、人は変われる。当時の経験が、今の「理念を言葉にする」仕事の原点となっています。

自分自身が、理念に救われた

独立して仕事をするようになり、価値観だけでなく、自分のミッション(使命)も定めました。

私の使命は「内なる想いを伝わる言葉にして、心ふるえる響きを生み出す」です。理念づくりの第一線の方から直接学び、言葉にしました。

私自身が大事にしたいのは「一人ひとりの内なる想い」であり、それを記者の仕事を通じて培った「伝わる言葉」のスキルを活かし、そして誰かの心が「ふるえる響き」を生み出していくこと。これがきっと私が、生涯をかけて追い求めていくものだと思っています。

FULLYELL(フルエール)という屋号は、コーチングカンパニーとして、変わる人をめいっぱい応援したいという願いをこめてつけました。そして心ふるえる瞬間を一緒に作っていこうというメッセージもかけてます。

半年間、壁にぶつかり続けてもブレることなくやって来れたのは、この理念があったからに他ならないと思います。理念を作る仕事をしながら、私自身が理念に救われたというのが率直な実感です。

ありがたいことに、コーチングを含めたクライアント方は10人ほどにまでなりました。実際に理念を作ることで「共感者や理解者があらわれた」「経営のブレない軸ができた」といったご感想もいただけています。理念とは、迷わず進むためのコンパスであり、自分と他者をつなぐ共感の光ではないかと思います。

個人の裁量が大きくなる時代

100年に1度の危機とも言われる新型コロナの影響で、世界的な変化の渦中に私たちは生きています。日本でもこの1年あまりで、リモートワークが一挙に進むなど、働き方は大きく変わってきています。より具体的には、例えば電通などの影響力のある企業が社員の個人事業主化を導入したり、副業を認める企業が増えたりするなどして、より個人の裁量に委ねられた自由な生き方を選べる時代に入っています。

個人に委ねられた自由な世界を生きるために、何が大事なのでしょうか。それこそが、自分の理念なのではないでしょうか。理念なき人生は、海図なき航海と同じように、遠からず難破の道をたどるよりほかないでしょう。ミッション(使命)は自分自身がどのような船なのか知り、ビジョン(目標)はどこへ向かうのかを明確にするものだと思います。

残念ながら、私たちが長く身を置いてきた学校教育でいくら学んでも、自分のミッションやビジョンを見つけることはできないでしょう。なぜなら、学校教育は与えられたものに対して、正解を出せる力を身につけることが第一だからです。既存のテストでどんなに百点満点を連発したところで、自分の心を奮い立たせる人生の目的を知ることはできません。

記者時代に見たもの

こう言い切れるのは、記者時代に、欠点知らずの高学歴で、華々しいキャリアを重ねてきた人に多く取材してきたからです。いくら学業が優秀であっても「なぜこの仕事をしているのか」その人ご自身の言葉で語れない方は、人間的に共感されないですし、もっと話を聞いてみたいとは残念ながら思えませんでした。むしろ、大学など行かなくったって、ご自身が見出した仕事に使命感をもち、関わる人に歓びを届けようと懸命に働く方の姿はまぶしく見えました。そうした方の周りには、必ず共感者や協力者がいるということも知りました。

ニーチェは「生きる意味を見出した者はたいていのことは耐えられる」という言葉を残しています。松下幸之助や稲盛和夫といった経営者の著作を読んでも「経営にとって最も大切なのは理念だ」と繰り返し述べています。理念を言葉にするということは、人生に意味を与えることなのではないかと思います。

理念を言葉にすることで始まる未来

「人生の意味」というとすこし大げさかもしれません。特に集団主義的な志向の根強い日本では、馴染みにくい面があるかもしれません。集団にいるからこそ感じられる安心感や勇気もあるでしょう。しかしそれでも、一人ひとりがご自身の人生で何をしたいのか、考えて言葉にすることで始まる未来が確実にあると思います。理念を言葉にすることで始まる未来をともに作っていきたい。この思いを強めた独立スタート半年になりました。

仕事をする中で見えてきたビジョン「光を信じるすべての人がマイクレドをもち、自然体で輝く世界をつくる」を目指して、次の半年も一歩ずつ進んでいきたいと思います。

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